今、直ぐに死にたいたいと言う訳では ありませんが?。 令和元年9月 |
歳を重ねますと、月日の過ぎ去る事の早い事、還暦のお祝いをして頂い たのは、遂先日の様に思われるのですが、いつの間にやら古希を過ぎ 間もなく後期高齢者のお仲間に入れて頂く事となります。 将に「光陰矢の如し」の諺通りでございます。 徒然草の一節に 終に、物の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれども 取り返さるゝ齢ならねば、走りて坂を下る輪の如くに衰へ行く。 とありますが、将に私の人生そのもので、物の上手にもならず、身をも持た ず、今や人生の坂道を下るばかりでございます。 しかし、いつぞや申しあげた事がありますが、 登り坂では足元しか見えていなかったのが、下り坂では視界が 広がり美しい風景が良く見え下り坂も又楽しいものでございます。 と、悔ゆる事も嘆く事も無く、お気楽な日々を過ごしております。 (家内は六甲山や摩耶山なら未だしも、諏訪山公園の金星台(標高90m)に登った 位だから、下り坂では木々が邪魔で何も見えずそれ程美しい風景とは思えない。 などと亭主を責める様な酷い事を言っております。金星台とは神戸の小さな山です。 確かに私は山どころか低い丘に登った程度の仕事しかしておりませんが!!。) 昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ この命なにを齷齪(あくせく) 明日をのみ思ひわずらふ・・・・・藤村・千曲川旅情 古希の後には喜寿・傘寿・米寿・卒寿・・・・・・120歳の大還暦まである そうですが、私には同じジュでも寿では無く呪のジュに思えます。 喜呪・傘呪・米呪・卒呪・白呪・百呪・茶呪・皇呪・ もう充分でございます。そんなに沢山の呪いを受ける前に、早く閻魔様に お会いしたいものでございます。 (スケベ話しも飽きてきましたので、少し方向を変えようと思い自分で書いて おきながら、後で読み返しますと自殺の話など面白くありません。 所詮、私如きにはこの程度の文章しか書けないのです。未だ元気に生きているとの 連絡代わりにアップさせて頂いただけですので、読まずにスルーして下さいませ。) |
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以前いつだったか忘れましたが西部邁氏の「自死の思想」を取りあげた 事がありますが、友人から 「自死という生き方」(須原一秀著・・・哲学者)と 「死にたい老人」(木谷恭介著・・・作家)の二冊の本を教えて頂き、図書館 でお借りしてまいりました。 (表現の自由とはありがたい制度です。自殺を推奨する本迄お借り出来るのですから。 余談ですが名古屋での、慰安婦像の展示を、公的補助を得て表現の自由などと 言う輩は許せません。政治的主張ですから展示したければ、公費の補助を得ず 私設の展示場で行うべきです。 私は禁止した河村名古屋市長を支持します。 神戸市も津田大介氏を招いてのシンポジュームを中止するとの発表がありました。 当然です。政治的意図を持つ方の講演会に公費を使うべきではありません。 津田大介氏は、民間のギャラリーを借りて慰安婦像の展示すれば良く、講演会も民間 の会場を借りて講演すれば良いのです。入場者は少なく大赤字になる事が怖くてリスク を負おうとせず、公費に頼ろうとする卑怯者にしか過ぎません。) 「死にたい老人」は女房に逃げられた著者が、83歳の時三度も断食安 楽死を計る話です。著者は女房に逃げられた原因は伏せておられますが 女房と死別なら未だしも、この歳で女房に逃げられたのでは死にたくもなる でしょう。 (呆け爺の単純な推測ですが。) 奥様に逃げられてから愛人と付き合っていたそうですが、本当は愛人が いたから、奥様は別居されたと考えるのが妥当だと思いますが?。 82歳の時、勃起不能になり予期していた事だけにそれ程ショックでは無か ったが、僕の人生は終わったという淋しさを味わった。・・・とありました。 著者は隠しておられますが、これが本当の自殺願望の原因だったのでは ないでしょうか?。 この頃なら既にバイアグラは発売されていたはずですが、80を過ぎるとバイ アグラを飲んでも効き目が無いのでしょうか?。私はそれが心配で、もしも そうなら私も人生は終わったと、自死したくなるかも知れません。 三度も断食安楽死に挑戦しその話を本にされたとは、三度とも失敗し未 だ生きておられるのです。四度目に挑戦され成功されたのか?、それとも 断食安楽死を諦めたのか?、其処迄はこの本では分かりませんが、ネッ ト検索しますと、85歳で心不全で亡くなっておられます。 著者は心臓病を病んでおられましので、希望していた「断食安楽死」は 叶わなかったのだと思われます。 私も「自死の思想」は許されると思っていますので、身体が不自由になっ たり、呆けの症状が出て来た時には、これ以上他人様に迷惑をかけない 為には自死を選択したいと思っていましたので、断食の話を読み「これは 良い方法だ!!、これなら他人様にかける迷惑も少なくて済み、静かに 死んで行ける。」と思ったのですが、そうは簡単な事ではなさそうです。 断食死の為には4~50日の日数が必要ですが、途中で家族や友人に 見つかれば、強く反対され強制的に入院させられ点滴治療等をされます ので、その間誰にも気づかれない事が必要です。しかし死後何か月も放 置されると孤独死と同じで、腐敗が進み、残された家族や周辺の方々に 多大の迷惑をかけてしまします。 誰にも気づかれず、それでいて死後2~3日の内に発見される。これは至 難の技で協力者無しでは不可能です。しかし協力者は自殺幇助罪もしく は保護責任者遺棄致死罪に問われます。 西部氏が入水自殺を計った時も友人二人が罪に問われました。 西行法師は「願わくば花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」と の歌を残し希望通り桜の時期の満月の日に73歳で亡くなったそうですが 協力者がおられ断食をして希望の日に死ぬ事が出来たとの説があるそう です。 西行の歌より色呆け爺の歌の方が楽しい歌だと思うのですが・・・・・ 願わくば腹の上にて春死なむ その餅肌の胸に抱かれて 色呆け爺 昔は自死にそれ程の罪悪感は無く世間の抵抗も少なかったのだと思いま す。武士の切腹も刑罰としての死では無く、士・侍として己の名誉を守る 為の高潔で潔い行為として、称賛された事もあったのです。 深沢七郎の「楢山節考」も貧しい村の哀しい話ではありますが、単なる 姥捨て物語では無く、老いた者が家族を思い自発的に山に向かう話で 私も主人公「おりん」の様に静かな気持ちで死を迎える事が出来れば良 いなと思っています。 六甲山では無理でしょうが、富士の樹海や北海道の旭岳など、叉関西 でも奈良県の大台ケ原などは深い山中に入り込めばとても探せず、又出 て来る事も困難だろうと思われます。 現代版楢山と言えるかも知れませんが、老いてヨボヨボ爺になれば、そこ まで行く事が出来ません。 著者は幾つかの持病をお持ちで薬を飲んでおられましたが、断食しなが らも薬を服用しておられたのです。この発想が私には分かりません。 どうせ死ぬのだから、薬など服用しなくて良いでしょう。心臓病の発作を起 こし死んだら希望の絶食安楽死にならないから、と言うのは詭弁に聞こえ ます。空っぽの胃の中へ毎日薬を飲んでおれば、胃を荒し胃潰瘍になる のは当然です。著者は胃潰瘍の痛みに耐えかね医者の診察を受ける事 となり、安楽死を断念せざるを得なかったのです。 胃潰瘍の件はさておき、著者が空腹に苦しんでいる様子が良く分かり, 禁煙すら出来ない意思薄弱な私には空腹の苦しみに堪えれそうも無く、 叉協力者に余計な迷惑を掛ける事などとても出来ません。 尤も友達の少ない私には、寂しい事にそんな協力をして下さる友人は只 の一人としておりません。 断食安楽死は良い方法だと思ったのですが、私には実行不可能な事が 良く分かりました。 (私はもっと良い方法を考えていますが、こんな所で公言すれば、木谷氏の様に 嫌でも実行しなければならない羽目に追い込まれますので、ここには書きません。) 須原一秀氏の「自死と言う生き方」は哲学者の書かれた本ですが、難し い哲学用語や回りくどい言い回しなどは無く、私にも優しく理解できる様に 書かれていました。しかし私の呆け頭には面白く無く、読み終えるのに随 分時間がかかりました。 (私の脳味噌は面白いスケベ話しにしか反応しないのです。) 須原氏は私の4歳年上ですが、平成18年65歳で自宅近くの神社の裏 山で縊死しています。失敗しない様に念を入れ頸動脈の切断まで行って いたそうです。 ![]() ![]() ![]() ソクラテス 三島由紀夫 伊丹十三 著者はソクラテス(70歳)と三島由紀夫(45歳)と伊丹十三(64歳)の三人 のケースを取りあげ、彼等が自死に至る共通点を探しておられます。 ソクラテスには「無知の知」との言葉が有りますが、神を冒涜した罪で死 刑判決を受け、「悪法も法なり」(この言葉はソクラテスの言葉では無いとの説もあり ます)との有名な言葉を残し毒を仰いで死んでいます。刑死であって自死 では無い様に思いますが、裁判前に逃亡する機会は充分にあり、判決 後も支援者の手引きで逃亡のチャンスは有ったのに逃亡せず、又裁判 中にも敢えて裁判官の心証を悪くする様な証言をし、彼自らが死刑判決 を望んでいたとしか考えられないそうです。 叉「結婚しなさい、良い妻なら幸せになれ、悪妻なら哲学者になれる。」 との言葉もありますが、彼には二人の妻があり、この言葉は一番目の妻 クサンティッペの事だそうです。50を過ぎてから若い娘クサンティッペと結婚 し二人の間には三人の子供が有り、刑死した時下の息子は乳飲み子だ ったそうです。即ちこの子は彼が69歳の時の子供なのです。 悪妻クサンティッペなどと言いながら、する事はしていたのです。 奥様一人では飽き足らず二人目の妻ミユルトを迎え、70前にも関わらず 子供まで出来るとは、精力絶倫男だったのです。 イラストのソクラテスの胸像には頭髪があり禿げていません。彼程のスケ ベは禿げ頭でなければならず、この胸像は別人の物に違いありません。 (二十歳前後の若い時ならいざ知らず、70でこれ程の精力が残されているとは!! 50歳を過ぎ結婚し、日に三交四交と繰り返した小林一茶を彷彿させます。 ソクラテスは同性愛者で結婚するまでは数多くの青少年と関係を持っていました。 以下は呆け爺の下衆の勘繰りですが、50歳にして初めて女性に接し肛門よりも膣が 良い事に気が付き、これから更に性の喜び・歓喜の頂点を探訪しようという時に、流 石に70にもなれば勃起出来ず、当時はバイアグラも無く、女を変えればとミユルトを 二人目の妻に迎えますが、それでも勃起せず人生に絶望して死刑判決を望んだの かも知れません。 ソクラテスは哲学の父とも言われますが、屁理屈ばかり言っている、単なるスケベ爺 だったのかも知れません。 屁理屈言いのスケベ爺とは私と一緒ですが、私が哲学者になれなかったのは、 妻は良妻だったと言う事になります・・・?。鬼婆などと言ってはいけません。 三島由紀夫も同性愛者です。・・・「仮面の告白」。田宮二郎も同性愛者で 「涅槃で待つ」との言葉を残し自殺しています。ゲイの方々には自殺される方々が 多いのでしょうか?。動物行動学者の竹内美代子説ではゲイ比率は4%だそうで、 25人に1人はゲイがおられるのです。私の友達にもゲイの方がおられるのでしょう。) 著者は三人の共通点として、病の苦しみや人間関係の軋轢・社会的な 立場への不満等は微塵も無く、人生の絶頂期に自死しています。 それぞれ自分の人生の頂点を極めた人でこの先は大した事は無いと、人 生に未練が無い方々と言えるそうです。 「今は悪くは無い。まあまあで、かなり良いともいえる。がしかし、それは今 迄良かった時を超えるものでは無い。同等かそれ以下でしか無い。今後 も同等かそれ以下でしか無い。しかも、最悪なものがこれからやって来る 事はほぼ間違い無い。かなり確率は高い。しかし直ぐに死ねば、その最 悪な事は避ける事が出来る。それは非常に有難い。その為の一瞬の苦 痛など大した問題では無い。」と言うのが、ソクラテス・三島由紀夫・ 伊丹十三に共通した死の直前の心理だったであろう、と言われます。 三人には死後においても、それまで築き上げた名声を損なう事の無い様 に自死を決行する為の大義名分が必要だったのです。 ソクラテスには死刑判決であり、三島由紀夫には日本の麗しい精神風 土を守る為の自衛隊への檄文であり、伊丹十三には直前に週刊誌で公 表された不倫報道に対する抗議であったのです。 「自死を悪とする伝統的な思い込みで、自殺であれ自決であれ他人の 自主的判断領域に属する事に関して、声高に肯定も否定も慎まねばなり ません。」とも言われています。 著者は自然死における死の直前の苦しみを大きく取り上げ、「眠る様にし て静かに死んで行った」とよく言われますが、お医者様によれば、この様な 穏やかな臨終は殆ど無く、それまでに病気の為堪えがたい苦しみを味わ い、終末期には苦痛を訴える元気も無く、又苦痛を感じる感覚さえも失っ てしまうだけだそうです。 「臨終の瞬間は平穏で穏やかだが、この静けさは常に恐ろしい代償と引 き換えで無ければ得られない。」 老醜の忌避・病気と老衰と自然死の拒否とは、自分らしさ・自尊心と 主体性を守る為に自死を選択するのです。と著者は言っています。 欧米のキリスト教的個人主義と日本の武士道的個人主義を対比し、 自死を、逃避的な自殺と共同体的な自決に分けて考え、武士道精神 「葉隠れ」の思想を高く評価されています。 この様な著者の説明を読んでも私には今一つ納得しかねます。 無理やり理屈をこじつけた感じがしてなりません。著者はこの本を書いた 後で縊死していますので、自死を自分自身に納得させる為、或いは私 達読者に理解を求める為、無理に屁理屈を積み上げた様に感じられる のです。自分の自死を理由付けする為に、著者はソクラテスや三島・伊 丹三人の自死の理由を分析し、恰も三人と同じ様に著者も人生の高み に上り詰めて、自死するのだと、強がっているだけの様に思われます。 自死するのに高潔な死も愚かな死もありません。只死ぬだけです、零に・ 無になるだけなのです。 「生きるのが嫌になった。」・・・それだけで良いでしょう。 |