9月23日「劇団新派」の公演を観てきました。
歌舞伎俳優、澤瀉屋(おもだかや)の市川月乃助(元・市川段治郎)が
歌舞伎役者を辞め新派の「二代目喜多村緑郎」を襲名された特別公
演です。
9月1日から11日まで東京新橋演舞場で公演され、9月17日から25日
まで大坂松竹座で公演されました。
新派俳優の水谷八重子や波乃久子・英太郎(はなぶさたろう)の出演は当
然ですが、歌舞伎界から音羽屋の尾上松也と澤瀉屋からは市川春猿(しゅんえん)と市川猿弥(えんや)が出演されました。
喜多村緑郎とは初めて聞く名前です。明治の終わりから昭和初期まで
活躍された新派の女形俳優で人間国宝だったそうです。昭和36年89
歳で亡くなられましたが、この度市川月乃助が新派に入るにあたり二代
目として喜多村緑郎の名跡を継ぐ事になったそうです。
(先代は女形でしたが二代目は立役(男役)で、受け継ぐべきは
その精神だとの事です。)
演目は新派の代表作、泉鏡花作「婦系図」(おんなけいず)です。観劇の
前に原作を読んでおこうとネット上の青空文庫で検索して見たのですが
270ページもある大作です。しかも読み辛く(面白くも無く)とてもとても私の様
な無学な輩に読みこなせる様な代物ではありません。昔の人はこんな読
み辛い文章でも簡単に読んでいたのか?と驚くばかりです。
(慣れれば読めるのでしょうか?。私はスケベな話でないと面白くないのです。)
私は2ページ程読んだだけで諦めてしまいました。
山本富士子・鶴田浩二主演の映画「湯島の白梅」は婦系図を原作とし
て映画化された作品だそうです。挿入歌の「湯島の白梅」は皆様ご存知
だと思います。
♪♪湯島通れば 想い出す お蔦(つた)主税(ちから)の 心意気♪♪
上演の前に襲名披露口上が行われました。今迄歌舞伎の襲名披露口
上は何度か聞いた事がありますが、同じ様な形式の口上でした。
喜多村緑郎はこれから新派で頑張って行こうとの心意気が感じられ気持
ちの良い口上でした、又水谷八重子と波乃久子の口上は新派は私達が支えているのだとの気迫があり頼もしく、「すっごい小母さん(ババア)だな
ア」と恐れ入りました。何事も人の上に立つ人は凄いものです。
名場面、「月は晴れても心は闇だ」、「切れるの、別れるのってそんなこと
はね、芸者の時にいうことよ…」との、お蔦主税の別れの場面では「義理
と人情の板挟み」の二人が可哀そうで思わず涙がこぼれ、涙を拭きなが
ら観ていたのですが、隣の席の家内は涙する事も無く平然と観ています。
慌てて周辺の観客の状況を見てみると、回りには妙齢のご婦人と言いた
いところですが、熟女を通り過ぎたジュクジュク婆ばかりでしたが誰も涙な
ど流してはいません。 泣いているのは私だけでした。
この別れの場面は最も感動的な場面にも拘らず、女もジュクジュク婆にな
ると感受性が乏しくなり、義理と人情の美しさも分からなくなるのでしょう。
(クソ婆メ、てめえなんど日本人じゃねえ、さっさとくたばっちまえ!!)・・・
又々山の神のお怒りを被りそうですので取り消します。
爺にはまだまだ義理人情の美学が残っているのです。
閉幕後 緑郎・猿弥・春猿・三人のトークショウが行われました。私達観
客は舞台やテレビ・映画で演者としての姿しか知らないのですが、三人の
仲の良い姿や歌舞伎の思い出話・又お人柄も分かり面白いトークショウ
でした。猿弥はサービス精神旺盛でとても面白い人です。
明治の頃に歌舞伎や文楽とは異なる新しい芸術・演劇を求めて「新派」
と名付けたのだと思います。私は演劇の世界に詳しい訳では無く、新派
の演劇も数多く観せて頂いた訳では無いので批判的な事を書く事はおこ
まがしいのですが、「お蔦主税」が分るのは私達の年代迄で、40代50代以下の方には解らない人が多いのではないでしょうか?(ババアですら義
理人情を解しないのですから)。昼の部でも演目は「振袖纏」・「深川年増」と
江戸から明治にかけての話でした。
(私は夜の部を観せて頂きました。)
私には今回の芝居は明治の頃の話とは云え、古臭い倫理観でそれ程
面白いとは思えませんでした(涙しましたが)。この様な話は平成の時代では
、もはや古典になるのではないでしょうか?。(天皇陛下は近々譲位されるのか
も知れません。元号は平成から変わるかも知れなく、時代はどんどん変わって行くのです)。
我が国には歌舞伎・文楽・能・狂言と沢山の古典芸能があります。
新派と言うからには古典芸能の仲間入りをするのでは無く、もっと新しい
演劇に挑戦して頂けたらと思いました。
(私の鑑賞眼不足を棚に上げ、勝手な事を書き連ね申し訳ありません。
多分私が知らないだけで新作の現代演劇も沢山上演されているのだろうとは
思いますが、独断と偏見に満ち満ちた、呆け爺の戯言と聞き流して下さい。)
澤瀉屋 (澤瀉屋さん、下司の勘ぐりで申し訳ありません。)
澤瀉屋はこれからどの様な方向に行こうとしているのでしょうか。?
月乃助が辞めただけでは無く、右近も近く三代目市川右團次を襲名し
屋号も澤瀉屋を離れ高嶋屋に変更するそうです。四代目猿之助(元亀次
郎)や中車(香川照之)と「馬が合わない」のかも知れません。
(又、月乃助の弟子、市川猿琉は既に今年初めから新派に移籍しています。
市川春猿にも新派の名跡花柳章太郎を襲名するとの噂もあります。)
右近は澤瀉屋の門弟筋から、本家・成田屋の門弟筋、右團次に格が上がったと言う事
でしょうか?おそらく成田屋さんにも事情があったのでしょうね?海老蔵は音羽屋を破門に
なった薪車を四代目市川九團次として門弟に取り、今回右近を市川右團次として門弟
にとれば、団十郎亡き後海老蔵一人で看板不足ぎみの成田屋には強力な助っ人です。
(関西人には上方歌舞伎の坂東薪車が東京に行ってしまった事は寂しい限りです。)
右近の気持ちも分からないではありません、四代目猿之助は段四朗の
息子で猿翁の甥とは言え一度は澤瀉屋を離れた人です。
(平成15年から23年迄8年間、猿翁と藤間紫との結婚に段四朗が反対したのが
原因との話もあります。)
中車は猿翁の息子とは言え歌舞伎は素人でまともな踊りも踊れせん。
右近には、猿翁が脳梗塞で倒れた後、澤瀉屋の苦しい時期を一人で
支え、猿之助歌舞伎(スーパー歌舞伎)の正当な後継者だと自負し、
恐らく猿之助を襲名出来ると内心期待していたに違いありません。今頃
になり血縁者だと言うだけで、二人に澤瀉屋の主(ヌシ)の様な顔をされ
ては右近は面白くありません。
四代目猿之助は先代と同じくスーパー歌舞伎に力を入れ「空を刻む者」
「ワンピース」を発表し意欲的な活動をしていますが、主要な出演者には
自身の交友関係から歌舞伎界以外の人材を多用し、(佐々木蔵之助・
浅野和之・福士誠治・嘉島典俊等)その為澤瀉屋の若手俳優は出演機会が
狭められてしまいます。
(澤瀉屋三代目猿之助は常に新しい事に挑戦し、歌舞伎界の異端児との悪評にも
めげず外連(けれん)と言われ歌舞伎の邪道と言われた宙乗りや早変わりを復活させ
素人観客にも理解できる面白い歌舞伎を作り上げました。歌舞伎の語源「傾(かぶ)く
」には、「常識外」「異様な風体」という意味があり、四代目も三代目同様歌舞伎本
来のあり方を追及されておられるのだろうと思います。
四代目猿之助も新しい歌舞伎に挑戦しようと、歌舞伎界以外の人材を登用し歌舞
伎の新世界を切り開こうとする姿勢や四代目猿之助の才能は、右近以下の澤瀉屋
の方々も認められておられるのだろうと思います。
私生活は明らかにせず、結婚もせず芸の道一筋を追及しようとする四代目猿之助、
子供向の漫画「ワンピース」を歌舞伎で演じるとは・・・・その発想に驚きます。
ゲイ・ホモだとの無責任で下世話な噂もありますが・・・・?。
素人感覚ですが、右近ではスーパー歌舞伎の継承は出来ても、四代目の様に更な
る発展・展開は出来なかったのかも知れません?。猿翁自身が回顧録で祖父と父が
早く他界したから、遠慮なく外連(けれん)の追及が出来た。存命なら二人の反対を
押して宙乗りや早変わりを演ずる事は出来なかったと言っています。右近では猿之助
歌舞伎を超える演出には遠慮があるかも知れません。)
中車は踊りが出来ない為、踊りのある古典歌舞伎は公演出来ず、演目
は限られてしまいます。当然踊れる若手の出演機会は少なくなってしまい
ます。
(中車は澤瀉屋の同門筋の名跡で門弟筋の右近・猿弥・笑也等より格上になります。)
その様な事が重なり澤瀉屋の若手の中には不満があるとの噂を聞いた
事があります。月乃助や右近の後を追う方が出てくるのかも知れません。
(歌舞伎は出雲の阿国(おくに)が始めた傾き踊りが発祥で、踊りは歌舞伎の基本で
す。歌舞伎役者には踊れる事が必要不可欠で、猿翁も舞踊では二代目藤間紫を
名乗る程の名手です。
月乃助は46歳・右近は52歳になります。この歳になり澤瀉屋を出るとは、お二人に
もかなりの覚悟があったとのだ思います。)
もっとも右近は息子(未だ6歳ですが)に二代目右近を襲名させるそうですので、澤瀉屋と完全に手を切るつもりは無いのでしょうが・・・
(中車は歌舞伎の技量もまだまだ未熟だとの話もあります。私には技量を見極める程の
目は無いので分かりませんが・・・。中車もこの歳になり歌舞伎に取り組んでも限界が
あります。恐らく息子の団子に将来猿之助を襲名させる為の布石だろうと思いますが
、「二兎を追う者は一兎も得ず」との諺もあります。団子にも中車にも良かれとのやり方
は、澤瀉屋の若手の意欲を削ぐ事にもなります。中車は歌舞伎の世界で生きるなら、
澤瀉屋の方々に認められるまで、主役に拘らず、敢て脇役も喜んで勤めるなど裏方
に徹し、香川照之の名を忘れ映画やテレビの仕事は少なくされた方が良いのかも知れ
ません。 ・・・素人の他愛も無い想いなど書いて、申し訳ありません・・・・。)
此処まで書いて、改めて読み返しますと、やっぱり私の考える事は素人の
つまらない推測・下司の勘ぐりにしか過ぎない様です。
歴史ある歌舞伎の世界で、右近も月乃助も一人の力で由緒ある名跡を
襲名出来る訳がありません。(松竹が関与したとは思いますが)
猿翁の応援・口添えがあって始めて襲名出来たのでしょう。猿翁の弟子
を更に大きく育てようとの暖かい親心に違いありません。
猿翁が猿之助時代に書いた「猿之助修羅舞台」(大和出版)を読んだ事
が有ります。猿翁の歌舞伎にたいする情熱・執念は狂気とも思えます。
一日24時間一年365日間、常に歌舞伎の事を考えているとの事でした
。猿翁の歌舞伎を愛する心・歌舞伎の世界を深く深く探求し、そして更に
大きく羽ばたかせ世界中の人々に観て頂き日本文化を知って頂こうとの
大きな希望、猿之助も中車も同じ想いを抱き、三人がそれぞれの立場で
協力し澤瀉屋の新しい歌舞伎を作ろうとしているのでしょう。
(初代猿翁(二代目猿之助)が息子の三代目段四郎では無く、孫に三代目猿之助を
襲名させたのは、三代目猿之助の歌舞伎への狂気とも思える情熱に、猿之助歌舞伎
を引き継ぐ者は彼しかいないと考えたのでしょう。同じ事が二代目猿翁(三代目猿之助
)と四代目猿之助(亀次郎)との間にもあったのだと思います。猿翁程、歌舞伎を好き
な男は血縁などに拘る訳がありません。亀次郎と右近の狂気の差が、亀次郎の猿之
助襲名に繋がったのでしょう。
初代猿翁の狂気の血が二代目猿翁へそして四代目猿之助へと繋がっているのでしょう
。この狂気が中車の息子団子に繋がれば澤瀉屋には万々歳なのでしょうが、幼い団
子が可哀そうでもあります。
世の中には私の様なエエカゲンでお気楽な男には、思いも付かない凄い方がおられる
のです。野球の一郎も凄い男ですが、猿翁も猿之助も凄い男です。
(27年7月五木寛之参照)
澤瀉屋では猿之助よりも段四郎の方が大きな名前だったそうですが、今では猿之助の
方が格上の様に思えます。
余談ですが澤瀉屋とは、副業に薬草の「おもだか」を販売していた事から
屋号となったそうです。
(「おもだか」は利尿や口渇,尿路疾患の改善を目的として胃苓散や五苓散などの
漢方処方に配剤されているそうです。)
先日、厚生省が22の病気は喫煙が原因だとの有り難い発表をして下さいました。
厚生省の発表が正しければ、50年以上煙草を吸い続けている私は既に三つや四つ
の病あるいはそれ以上の病を得ているに違いありません。これらの病気のおかげで徘
徊老人や寝たきり老人にならずにあの世に行けるのです。これ程嬉しい事はありませ
ん。検診に行かないから病気に気が付かないだけで、私の余命は後いくばくも無いに
違いありません。
やがて地獄で猿翁を超えた四代目猿之助歌舞伎の噂話を聞ける事を楽しみにしてい
ます
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