観音経                     平成29年3月

あの世から父や母が呼んで下さっているのかも分かりませんが、歳を取り
ますと爺臭いだけでは無く、佛様に惹かれ抹香臭くなってまいりました。
  
(この歳になりますと、今勤めている会社だけでは無く、以前勤めていた会社や田舎の
  友人の訃報を聞く事が多くなり、悪友が呼んで下さっているのかも知れませんが?。
  昭和のお嬢さんが(平成では婆ちゃんになっちゃいましたが)呼んでくれるのなら嬉しいの
  ですが、寂しく且つ悲しい事に思い当たる様な方はおられません。
  歳を取りますと加齢臭と申しますか、爺臭い・抹香臭い・カビ臭い・小便臭い・はたまた
  淫靡な香りと、色んな香りが付いてまいります。
  色香の多くなる事を喜ぶべきなのか?悲しむべきなのか?・・・・・。
  経験豊富な貴兄・貴姉にも、私以上に沢山の色香がついているのだろうと思いますが、
  どんな色香がついているのでしょうか?
  私以上にスケベな色香が体中に染み着いておられる方も多い事と存じます。)
            (28年6月小便臭い爺・参照)


近頃、佛様やお経に興味を抱き、仏教やお経の解説書を読む事が多く
なってまいりました。以前お伝えさせて頂いた仏教学者の「ひろさちや」氏
が「観音経奇跡の経典」との本を書いておられます。
   
(27年10月蜘蛛の糸・27年8月アダムとイヴ・参照)
古本屋で見つけたのですが昭和57年発行で定価1,500円でしたが、なん
と1,000円の札が付いていました。30年以上昔の本が1,000円もするなんて
?      
 (古本には100円〜200円の本が多いのにも関わらず。)
お店の方に「どうしてこんなに高いのか?」とお伺した所、「この手の本はな
かなか売れないので・・・気持ちだけですが100円値引きさせてもらいます
。」との事で900円で買い入れました。
(売れなければ尚更の事、安くすれば良いの
にと私などは思うのですが、古本屋の商売の仕方は、又違っているのでしょう。)

私が読みたいと思う本はどうやら他の方々はあまり読まれないようです。
やっぱり私は変わり者の偏屈爺だったのです。

観音経は「法華経」
(妙法蓮華経)の一部分ですが、「私達が人生で遭遇
する苦難に際し、観世音菩薩の偉大なる慈悲の力を信じ、その名前を称
えれば、必ずや観音様が救ってくれる」と説いており、現世利益を約束して
下さった有り難いお経です。
私達が良く聞くお経には「般若心経」と「観音経」があります。どちらも観音
様のお経ですが、「般若心経」は深遠な仏教哲学を説いた高級な経典
、「観音経」は現世利益を説いた、いささか低級な経典とのイメージがあり
ますが、「ひろさちや氏」は決して低級なお経では無い、私達の日常生活
でもっともっと読まれて良い、素晴らしい経典だと述べておられます。
    
(法華経は鳩摩羅什(くまらじゅ)訳の「妙法蓮華経」で8巻28品(ほん)も
    ある膨大なお経で日蓮宗の大事な経典になっています。
    28品の内の一つが観音経(25品)です。(25章と言う事です。)
    ここでは観世音菩薩と訳されています。
    般若心経は玄奘三蔵が訳し、観自在菩薩と訳しましたがどちらも同じ観音様の事だ
    そうです。
    鳩摩羅什の訳にも玄奘三蔵の訳にも、それぞれ深い意味がありますが長くなりますの
    で、今回は割愛させて頂きます。
    私も般若心経を高尚な仏教哲学と思い、数冊の解説書を求めましたが、今では
    本棚の隅で埃を被っています。観音経の解説書は今回初めて購入しました。)

        

しかし、私は根っからのスケベ爺ですので、どうしても厭らしい話やスケベ
なお経のみを選んで読んでしまいます。観音様と言うと私は女性を、又
「女性の性器・関西では3文字表記の「○○○」を連想してしまいます。
  
(28年4月の「家族はつらいよ」の後半参照、
   右のイラストは貽貝(イガイ)です、にたり貝とも言われます。)
  (そんな私ですので、信仰心は薄く親不幸者の私は田舎のお墓や生家の仏壇に
   お参りする事は、めっきりと少なくなってしまいました。生家は和歌山県白浜です
   ので、車で2時間強、往復で5時間近くかかります。暇は充分にありますが高速代
   やガソリン代の費用が掛る事も年金生活者には辛いものがあります。)

観音経の中に私好みのお経の一節がありました。
  若有衆生
(にゃくうしゅじょう)
  多於淫欲
(たおいんよく)
  常念恭敬観世音菩薩
(じょうねんくぎょうかんぜおんぼさ)
  便得離欲
(べんりとくよく)
  ・・・・・・・・・・・・・・・マダマダ続きます
(和訳)
  若し衆生ありて
  淫慾多からんに、
  常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、
  便ち慾を離れることを得ん。

観音菩薩様は私達衆生は淫慾が多い事を認めて下さっているのです。
爺になってもスケベな事を考えたり、お姉ちゃんにお会いした時、妄想を逞
しくする事など恥じる事では無いのです。
  
(私の守備範囲は広く60迄は若いお姉さん・70迄はお姉さん、80迄は小母さんで、80
   過ぎがお婆さんです。守備範囲が広すぎるから、逆に捕球?出来ないのでしょうか。
   もっと範囲を絞れば、私のグローブにもお姉ちゃんか小母さんが入って下さるのでしょう
   か?。)

只次の「常念恭敬観世音菩薩便得離欲」が気に入りません。「観音経を
読めば淫慾を抑えられる」と言う事だと思いますが、折角の淫慾や楽しい
妄想をどうして抑えなければならないのでしょうか?私は観音経を読み欲
望を抑える気持ちにはなれません。
観音経よりも理趣経の「煩悩即菩提淫慾即是道」の教えの方が、私には
楽しい教えです。
(25年9月理趣経参照)
又親鸞聖人の悪人正機説
(善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや)の考え
方も好きです。悪人だけでは無く私の様なスケベ爺でもスケベ人生を押し
通し、死ぬ前にだけ「南無阿弥陀仏」と称えるだけで、「極楽往生」出来
るのですから。

 
   しかし、ひろ先生のお説によれば女性は仏になれず極楽は男ばかりの世界だそうで 
    す。女性は浄土では仏になれない為、全員が男となって生まれ変わるのだそうです
    家内が男に生まれ変わるのは我慢出来ますが、(逆に喜ばしい位です。)可愛いい
    あの娘もセクシーなこの娘も浄土では男になってしまうのです。 
    女性のいない極楽などに行っても面白くもありません、私にはホモの趣味はありません
    むしろ地獄の方が面白くて楽しい世界かも知れません。地獄絵図を見ても大勢の
    男女がおられるではありませんか。地獄には女性がおられるのです。 鬼に虐められ
    るのは困りますが、良く良く考えれば私は結婚以来50年近く鬼嫁・鬼婆に虐められて
    きたのです。!!よくぞ耐えたり50年!!。私は鬼婆の虐めに耐えて来たのです。
    地獄の鬼と云えども鬼婆の虐めに勝るとは思えません。
    又肩を骨折した時若い女性の先生にリハビリを受け痛苦を我慢している内に快感を
    覚え私にはMの資質がある事に目覚めました。(25年1月骨折その後参照)
    M感覚を更に磨き、地獄の鬼に虐められる事を喜びに変え楽しめるかも知れません。
    現世では鬼嫁鬼婆の目を掠めお姉ちゃんと遊ぶ事など不可能でしたが、地獄なら鬼
    の目を掠めお姉ちゃんと楽しいひと時を過ごす事が出来るかも知れません。

    又男も女も極楽では性を超越し、性別は無くなり皆様中性だとも書かれています。
    中性とは??男の「成り余れる処」と女の「成り合はざる処」が無くなったと言うことで
     しょうか?
    マネキン人形の様に股間はツルツルで何も付いて無いのでしょうか?。そう言えば
    如来や菩薩・明王や天その他の全ての仏様の像は、オチンチンも○○○も衣で隠さ
    れています。隠されたのでは無く、本当は中性になりシンボルが無くなってしまったので
    しょうか?。仏様はウンコもオシッコもされないと言う事なのでしょうねネ。飲食すれば
    ウンコやオシッコが出てしまいます。即ち仏様は飲食してはいけないのです。仏様は
    何も食べられないのです。仏前にお供えするご飯や果物は必要無かったのです。

    日本の仏像と比べ、ギリシャ彫刻のポセイドンには勃起もせず小さめで且つ包茎と
    お粗末ですがチンチンがついています。ビーナス像は流石に大事な所は手で隠し
    たり布が巻かれていますが豊かなお乳は見せて頂けます。)

    信仰心の薄い色呆け爺の戯言です。こんな事を考えるスケベ爺、救いようの無い爺
    だと貴兄・貴姉は思っているのでしょう。!!私も思います。

    称(とな)えると唱(とな)えるの違いも教えて頂きました。
    称えるとは口に出す事で南無阿弥陀仏とか南無観世音菩薩と口に出してお祈りす
    る事で、唱えるは大きな声で言う事で南妙法蓮華経と大きな声で(太鼓をたたき)お
    祈りする事だそうです。

    観音様はインドの補陀落山にお住まいになっておられるそうです。その為補陀落山が
    霊場と信じられ西国三十三所観音第一番札所那智青岸渡寺の麓、海岸近くに
    補陀落山寺があり平安時代から小舟で南海に漕ぎ出し観音様の国に往生しようと
    する補陀落渡海信仰が盛んだったそうです。私40数年前和歌山県新宮市に住ん
    でいて、補陀落山寺にも何度かお参りさせて頂きました。当時は小さな本堂の他には
    何も無い田舎の鄙びたお寺でしたが、数年前お参りさせて頂いた時は、駐車場完備
    の立派な本堂が再建され、大型の観光バスまで停車していました。又実物大の
    渡海船の模型も展示されていました。熊野が世界遺産に登録されたお陰でお寺にも
    参拝客が増えお布施やお賽銭でタンマリと儲かったのでしょう。
      (私は直ぐに人様のポケットや財布の中を想像してしまいます。こんな下司な
      勘繰りをするから皆様から嫌われるのでしょうか?。)


私如きがスケベ心で仏教の本を読んだとて、何程の勉強も出来ません。奥深い佛様の世界の皮一枚を嘗める様なもので、何の役にも立たない事は充分承知していますが、さりとてエエカゲンで何をやっても三日坊主の私は、深く探求する根気も無く只目の前の書物を読み散らかしているだけで、読んだ後から忘れてしまいます。

   南無観世音菩薩
   ナ〜ム カンゼオンボサ〜・・・
・チーン   合掌

  
追記 @○○○などと書かずにオコメと書いて、「コ」と「メ」の間に
      漢文で使う返り点レ点、雁(かりがね)点を入れたいのですが
      入力の仕方が分かりません。
     A又又、ひろ先生の高邁な仏教解説を私好みのスケベ話に捻じ曲げて
      しまいました。ひろ先生は極楽に私は地獄行き間違い無く、先生に
      お会いす事も無いと思いますのでご容赦下さいませ。
     B先日会社から再度雇用延長契約を結んで戴けました。4月から6月
     
までの延長です。7月以降の事は未だ分かりませんが有り難い事です
      これも観音様の御利益なのでしょう。皆様の様な信仰心の薄い方でも
      私を見習い観音経をお読み頂ければ、少しは観音様の御利益に与れる
      事でしょう。
     Cパソコンが余りにもフリーズして固まってしまうので、止む無く
      パソコンを買い換えました。ホームページの移管が上手くいかず文字
      が可笑しくなったり、行改編の可笑しい処がありますが、修正するの
      が面倒なのでそのままにしています。ご勘弁願います。