国境なき医師団 平成29年6月 先日映画を見た後、家内と三宮を散歩していた時、募金活動をしておら れる学生らしい若者数人に出会いました。皆様きちっとしたスーツを着用 し真面目な青年の様に見受けられ、「国境なき医師団」の旗を掲げ一 生懸命呼びかけておられましたが、誰も見向きもせず通り過ぎ、募金しよ うとはされません。「国境なき医師団」の活動を知らないとでも言うのでしょうか? 大勢の方が通行しているにも関わらず、誰一人として募金しようとされな い事に私は義憤を感じ、「私が募金しよう」と彼らの前に行きました。 家内の財布の中には数人の福沢諭吉様がおられる様ですが、私の財 布には野口英世氏すらおられず、数百円の小銭が残っているだけでした が、私は全財産を寄付つもりでした。 ところが詳しくお話を聞きますと、現金での寄付は受けられず全て銀行振 り込みで寄付しなければならないとの事で、振り込み用紙を見せて頂くと 毎月三千円から一万円を定期的に自動振り込みする様になっていまし た。私は持てるお金、全てを寄付するつもりだったのですが、それ位ではと ても足りません。月々三千円以上とは!!私にはそんな余裕はありませ ん。 そのまま尻尾を巻いて逃げ帰る事も考えたのですが、それでは丁寧に説 明して頂いた学生さんに申し訳が立ちません。 私はしがない年金生活者である事をお伝えし、マケテ頂き月額千円の 自動振り込みの手続きを行いました。私が手続きをしている姿を見られた からだと思いますが、他にも説明を受ける人が増えてまいりました。例え千 円でも私が呼び水になり募金が少しでも多くなれば、と少々嬉しく思いま した。 しかし例え千円と云えども私には大金です。まして毎月の事となれば、私 にはこのお金を捻出する余裕は無く、家内は躊躇する事無く私の煙草と お酒の予算を削減する事でしょう。 私達夫婦はこの様な事には少々甘ちゃんなのかも知れません。テレビコ マーシャルですが、ユニセフのアフリカの乳児の悲惨な状況を見、家内 と相談し募金させて頂いた事もありました。 とは言うものの、最近はこの様な募金をする事に若干疑問を感じる様に なりました。貧困の直接原因は戦乱等にあるのでしょうが、本質的には地 球上の人間が多すぎる事にあると思うのです。世界の人口は現在74億 人も有り、80億・100億人になるのも時間の問題と言われます。何十年 も前から戦乱と貧困は続き止む事はありません。これからも更に酷くなる 事はあっても改善されるとはとても思えません。 私如きが僅かな募金をしたところで、意味の無い事ではないのかと?。 私の募金により一人の赤ちゃんが命長らえたとしても、やがて成人し又し ても貧困の内に赤ちゃんを出産されるのです。私の寄付は貧困の再生産 に手を貸しているだけなのです。私が寄付などしなければ赤ちゃんは亡く なり(心は痛みますが)貧困の再生産の循環を絶つ事が出来たのです。 私は単なる偽善者に過ぎないのです。貧困の再生産に手を貸している だけにも関わらず、恰も博愛精神に富み人類愛に充ちた善人ぶりをして、 自己満足に浸っているている老いぼれ爺だったのです。 自己満足・・・・マスタベーションと同じ事ですナ・・ (いやいや、マスタベーションの方が未だマシデスワ、チッシュ 2~3枚で済むのですから) 18世紀末、英国の古典派経済学者マルサスは「人口論」を発表してい ます。 ①食料は人間の生存には必要不可欠 ②異性間の性欲は必ず存在 する。 この二つを前提に人口は幾何級数的に増えるが食料は算術級的にしか 増えない。人口抑制をしなければ食料不足は必ず発生するとの学説。 マルサスは人間の理性には限界があり、理性により理想的な社会を建 設しようとの試みは必ず挫折する。社会の拠り所にすべきは長い歴史の 中で濾過された英知即ち伝統であるとして、フランス革命についても歴 史的愚挙として厳しく批判しています。 当時英国では「救民法」を改正し貧しい人々への給付水準を引き上げました。マルサスはこうした政府の改正案を痛烈に批判する為に「人口論」を発表したのです。マルサスは人口と食料のせめぎ合いという、「自然法則」の下では不平等は不可避だと言っています。 実際、我々にとって不可避の自然法則により、人類のある部分は欠乏 に苦しまなくてはならない。彼らは人生という宝くじで空くじを引いた不幸な 人々である。扶助を求める人の数は増え、彼らに供給出来る余剰生産 物はそれに追いつけない。利己心では無く博愛が社会を動かす原理に なれば、その美しい名前から期待される様な幸せな結果は生じず、今は 一部の人だけが感じている欠乏の重圧を社会全体が感じる様になる。 人間の気高い才能が開花し微妙で繊細な感受性が更に向上するのは 、実は確固たる所有の制度のお陰なのであり、一見いかにも偏狭な利 己心という原理のお陰なのである。文明国が未開状態と区別されるのは 、全て所有の制度と利己心のお陰なので ある。文明人は現在の高み へ登る時に用いた梯子を、もはや不要と投げ捨てて良い段階に達したと 言えるだろうか、或いはやがて達すると言えるだろうか?人間の性質は決 してそう言える程には変化しない。 人間世界でもしも貧困と飢餓が存在しなかったなら、恐らく人間は怠惰を 貪り野蛮から抜け出す事は無かったに違い無い。貧困のプレッシャーが 有ったればこそ人間は努力し文明を進歩させてきた。 「人口と日本経済」吉川洋著・中央新書刊・より引用 マルサスの説によれば、飢餓に苦しむアフリカその他の国の人々は人生 の空くじを引いた気の毒な人々と言う事になるのでしょう。 又、博愛からは幸せな結果は生まれないとの説から国内政策を考えた 時、社会保障政策を充実させる事は社会全体にはマイナスの作用をす る事が多いのかも知れません。 我が国の生活保護政策を見ても、本来ならば経済的に困窮された方々 に一時的に所得補償を行い、その間に生活基盤の再構築を図って頂き 保護を受けずとも自立出来る様になって頂く事が目的のはずですが、恒 常的に保護を受け自立する意思の無くなったかの様な方々が多い様に 思えます。又保護を受けるとは社会の皆様から助けて頂く事にも拘わら ず、感謝の気持ちを失い助けて頂く事を当然の権利の様に主張される 方も多い様に思われます。保護を受ける事により自立精神や自己責任 の考えが麻痺し、社会や他人を頼り安易な寄生生活を止められなくなっ てしまうのかも知れません。 動物園のライオンや虎は容易に食料を得られる為、闘争本能を失い檻 の中で惰眠を貪るばかりです。動物も人間も保護されると怠惰になってし まうと言う事でしょうか?。 (生活保護を受けながらパチンコ通いを続ける方などは、完全な寄生生活者です。 私などトイレ借用にパチンコ屋さんに立ち寄った事はありますが、40年以上パチンコを した事がありません。フィーバーとの言葉は知っていますが、どの様な事かも分かりま せん。 パチンコ代にも事欠くとは、自慢にはなりませんが・・・。もしかすると私は生活保護を 受けておられる方々よりも悲惨な暮らしをしているのでしょうか??。) 健康保険についても若い方々に高額治療費が掛かるのはやむを得な いと思いますが、70才以上の年寄りにはあまりにも高額な治療は必要あ りません。(お金持ちの高齢者は高額治療費は自費診療すれば良いのです。私の様な 貧乏人は高額治療は受けられず死んでいけば良いのです。) 私達が受給している年金にも同じ事が言えます。今まで年金を掛けてきたのだから年金受け取りは当然の権利だと主張されたり、受給年金が少ないと苦情を言われる方がおられますが、年金積立の半額は国家と企業が積み立て、残りの半額だけが年金加入者が積み立てた分なのです。私達が積み立てた年金だと堂々と権利主張できるのは、年金支給額の半分だけなのです。 充実した社会保障制度や年金制度にも不況の原因があるのかも知れま せん。誰もが極端な貧困や飢餓を心配する必要が無く、必死に働こうと の意欲が薄れてしまった結果かも知れません。 私個人を考えても、もしも年金支給が私の積み立て分のみになってしまえ ば年金は半額となってしまい、お気楽爺を演ずる余裕は無くなり死ぬまで 必死に働き続ける事になるでしょう。年金受給者だけで無く恒常的に生 活保護を受け、自立心に欠けると思われる方も含め、皆様が必死に働 き続ければ結果として日本経済の成長余力も生じる事になるのではない でしょうか?。 社会保障費を減らす事は、受給者の消費を減らす事になり、目先の総 需要は減り景気の悪化に繋がります。先年の消費税の引き上げ時、折 角の景気回復の足を引っ張ったのと同じ様な事が発生すると思われま す。しかし消費税が安いのも、手厚い社会保障も、一つ一つの政策は 良い事ですが、その様な事が合わさると「合成の誤謬」が起こります。即 ち社会全体としては活力の無い低成長やマイナス成長の社会になってし まいます。 「ミクロ経済として合理的で正しい行動や判断を行っても、個々の”正し い” 行動・判断が集合したマクロ経済では”正しい”結果でなく、好ましく ない結果となる。 」と言う事です。 例えば映画等を見に行き前席の方の頭がジャマで見にくい時、立ち上が れば良く見えます。一人一人には良い方法ですが、皆さんが立ち上がれ ば意味の無い事になってしまいます。 この様な事を合成の誤謬(集合の誤謬)と言います。 経済成長即ち豊かな生活だけが良い事とは限りませんが、社会保障関 連の費用を今少し削減し、皆様が自己責任の考えをもっと持つ様になっ た方が社会全体の為、又子供や孫の世代に迷惑を掛けない為にも必 要な事だと思います。 今年度の国家予算は97兆円ですが、社会保障関連費が33%地方交 付税が16%国債費が24%と合わせて7割を超し、政策関連費は26兆円 弱しかありません。この様な異常な状態から早く脱却しなければなりませ ん。政府は税収が増える様に景気対策に力を入れる事は当然ですが、 私達国民も社会保障関連費の削減には協力すべきだと思います。その 為私の年金が減る様な事があっても、又医療費が高くなっても、消費税 がもっと増えても、敢えて受け入れたいと思っています。 私は利己心と博愛の心の両方持って、その狭間で思い悩みながらも、 今迄通りお気楽爺を続けて行きたいと思っています。 最近は「消費は美徳」の言葉も聞けなくなりました。日本経済の長期停 滞の原因は、消費不足の為だから、お金持ちの皆さまはもっと贅沢をさ れれば良いのにと思うのですが、我々日本人には質素倹約を美徳とす る道徳観が染みついており、又平等意識が高く、妬みや嫉妬の意識も 高い国民性の為、お金持ちの方々の派手な行動は直ぐにマスコミが大 きく取り上げ批判するので、出来にくいのかも知れません。例えば麻生太 郎氏がホテルのバーで飲食している事を批判された方もおられました。 芸能人・政治家・公務員の不祥事を、マスコミは恰も己が正義の使者 にでもなったかの様に執拗に追及しますが、読者・視聴者の妬み心・嫉 妬心を巧みに擽り、視聴率が上がるのでしょうが?。この様に他人様の あら捜しばかり続けると、「角を矯め牛を殺す」事になるのではないでしょう か?お金を持っておられる方々が、女遊びだろうが浮気だろうが、 もっともっと派手に遊びほうけて贅沢三昧をしてくれれば、世の中にお金は もっともっと回るのです。「水清ければ魚棲まず」との諺もあります。社会正 義?や公正・公平ばかりを追求する事は、逆に住みにくい社会になって しまうのでは無いでしょうか?私はそういう意味で大阪のIR計画(カジノ計 画)に賛成です。反対説の方はギャンブル依存症の方々の心配をされ ていますが、そんな事は自己責任の問題でしょう。自分のお金を博打に 使おうが女に使おうが酒・旅行・ゴルフ・競馬・投資・預金etc・・・。個人 の自由で、子供ならいざ知らず大人のする事は犯罪で無い限り他人が 口出しする事ではありません。 大王製紙の井川意高氏はマカオ賭博にのめり込み、会社資金を横領 し懲役4年の実刑判決を受け、責任を取らされたでしょう。ギャンブル依 存症で生活破綻をされても、そんな方は元々お金を持つ資格の無い方 です。甘やかすからこんな愚かで甘えた人が出て来るのです。全て自己 責任で、甘やかす必要はありません。 私はニコチン依存症で且つアルコール依存症ですが、これも自己責任 です。この問題で他人様にその責任を転嫁する気持ちはありません、煙 草・酒の嫌いな方には愚かで甘えた爺に見えるのでしょうが、それで結構 !!。酒・煙草に関し他人様から要らざる干渉を受けたくありません。 江戸の昔狂歌にも詠われました。「白河の 清きに魚も 住みかねて もと の濁りの 田沼恋しき」。松平(福島県白河藩主)の緊縮政策、倫理道徳を 重視した政治より、田沼の自由で贅沢の許された頃の方が良かったとの歌です。(私も田沼意次はもっと高く評価されて良い政治家だと思います。) 私達は他人は他人・私は私・と自分の生き方に自信を持ち、他人の事 などにはもっと寛容に又無関心になれば良いのにと思ってしまいます。 独逸の経済学者ゾンバルトは「恋愛と贅沢と資本主義」の中で 「資本主義を牽引したのは贅沢であり、これは女性がリードする恋愛に行きつく。恋をし贅沢な遊びをする事が消費拡大即ち経済成長につながる。」と言っているそうです。 私も、日本の資本主義の発展にもっともっと貢献したいものです。 ・・・・奥様お小遣いをもっと増やして・・・・・・ スケベな話ばかり書いていますと、皆様に馬鹿呼ばわりされますので、タ マには真面目な事をと思ったのですが、今度は偏屈爺の独断と偏見に 満ち満ちた愚かな戯言(ざれごと)になってしまいました。 |