大国主命(オオクニヌシノミコト) 平成29年9月 | ||
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淤岐島(オキノシマ)・白兎海岸 出雲大社 | ||
先月、天の川の頁で磐船(いわふね)神社と饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の事 を書かせて頂きましたが、その際再確認の為、久し振りに昔買った古事記 の解説書を読み直しました。 今回は古事記の中から大国主命(大穴牟遅神(オオナムヂ)大己貴命(オホナムチ )等の別名があります。)の話を取り上げたいと思います。 大国主命は、出雲大社のご祭神で、神話「因幡の白兎」は皆様ご承知だ と思います。白兎(はくと)海岸は鳥取砂丘の西方約10kにあり、オキノシマ は上の写真の様に岩だけの小島で草木も生えず、海の荒れた日には簡単 に波に洗われてしまいそうで、兎がこんな島で生きていけるとは思えず、一刻 も早く対岸に渡りたかったのでしょう。 古事記によれば大国主命は素戔嗚尊(スサノオノミコト・天照大神の弟)の六代 の孫と言われますが、「天津神」(あまつかみ)では無く「国津神」(くにつかみ) の代表的な神様で「出雲の国譲り神話」もご承知の方は多いと思います。 (天津神は高天原はにいる神々、または高天原から天降った神々の総称で天照大神や 神武天皇等です。国津神は天孫降臨以前から日本に土着していた神々で素戔嗚尊 や大国主命等です。スサノオは天照大神の弟にも拘わらず天津神で無いのは高天原 から追放された神だからでしょうか 大国主命はすっごく女好きの神様だった様です。 助けた兎の予言通り多くの兄神(八十神)を出し抜き八上比売(ヤガミヒメ)を 射止めますが、その後根の国のスセリヒメと結婚し、他にも越のヌナカワヒメ 、宗像神社のタキリビメ、トトリノカミ、カムヤタテヒメ、・・・記録に残るだけで 六人の奥様がおられますが、記録に残らなかった女性も大勢おられたのだ ろうと思われます。 一説には大国主には様々な女神との間に180人もの子供がおられたそうで す。「英雄色を好む」と言われますが、色好みを通り越し奇麗な女と見れば 手あたり次第、正に「歩く生殖器」そのもの、小出恵介・川谷絵音・狩野英 孝・渡辺謙の四人を合わせた様なスーパースケベ男だったのでしょう。 (余りにも子供の数が多い様に思われますが、日本書紀には181人と記録されている そうで、案外本当の話かも知れません。枕を交わした女性は如何程か?。 羨ましい限りです。) スセリヒメに子供がいたとの記録は有りませんが、それだけに大変な焼き餅 焼きだったそうで(これ程女たらしの男なら焼き餅など焼かずに別れれば良いのにと思うの ですが)、ヤガミヒメはスセリヒメの嫉妬と虐めに耐えかね、生まれた子供を残 し実家に帰ってしまったそうです。 (ヤカミヒメは先に結婚したにも関わらず側室で、後から結婚したスセリヒメが正妻でした。 ヤカミヒメには面白くない事間違いありません。真相はヤカミヒメは浮気男に愛想をつかし 怒って帰ったのだと思います。ヤガミヒメは最初の出会いの時大国主など選択せず兄神 (八十神)の中からもっと誠実な神を選べば良かったのです。兎を助けた優しい男とは、 女と見れば誰にでも優しい言葉をかける浮気男だったのです。 ヤガミヒメには男を見る目が無かったのです。生まれた子供を木の俣(また)に挟んで 帰ったそうで、この子は木俣神と言われます。当時は子供を木の股に挟むという子供の 健康を願う儀式があったそうです。) |
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大国主命は八上比売(ヤカミヒメ)をめぐって兄神(八十神)から迫害を受 け二度も殺されますが、いずれも母に助けられその後紀州に逃れています。 (紀州から更に根の国に逃れそこでスセリヒメに会います。) スケベ男の大国主の事です。古事記の記録にはありませんが紀州でも多く の乙女が彼の毒牙にかかり、大国主のスケベ遺伝子は紀州全域に広が っていったと思われます。 私も紀州男子です。当然大国主のスケベ遺伝子を私も受け継いでおりま す。しかし悲しい事に余りにも世代交代が多すぎました。その為私はスケベ 遺伝子を受け継ぐ事は出来ましたが「モテ遺伝子」を受け継ぐ事が出来な かったのです。どうやら「モテ遺伝子」は隔世遺伝の様で私では無く息子に 遺伝したのかも知れません。 十年程前出雲大社にお参りさせて頂きました。その折「モテ遺伝子」を私に もお授け頂けますようお願いしたのですが、未だに効果がありません。 大枚五百円もお賽銭を奮発したのですが、そんな程度ではお賽銭が少な かったのでしょうか? |
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