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![]() 七代目竹本住大夫 |
二月十七日桂米朝追善芝居「地獄百景亡者戯」を観てきました。 落語界の巨星、桂米朝を偲び米朝の代表作で上方落語随一の大ネタ『地獄八景亡者戯』(消えかけていた噺を米朝が復活させました)を劇場用に書直したお芝居です。米朝一門(米團次・ざこば・南光・吉弥等々)の他にも松竹新喜劇・OSKのお姉さん達・又、DAPUMPのISSA・DAICHI・YORI、等が出演されていました。 (恥ずかしながらローマ字のお三方にお会いするのは初めてで、何とお読みするのか 分かりません。上手に踊り歌っておられましたので、かなり有名な方なのでしょう) 江戸時代の大坂、落語家「泥丹坊堅丸」(どろたんぼうかたまる・ざこば)は餅を喉に詰めて死んでしまい地獄に来てしまいます。 そこは話に聞く恐ろしい地獄とは大違い、いろいろな時代から集まった亡者たちが楽しく明るく暮らしています。 堅丸も地獄の旅をしながら芸の上達の為、亡者たちに話を聞いていると、上方落語の祖・米沢彦八、竹本義太夫、さらには出雲の阿国までやってきます。…・・・。 六道の辻での芸尽くし、閻魔の庁での(閻魔様は南光)一芸の披露など、歌と踊りも楽しめ、落語とは一味異なるお芝居ならではの面白さが有りました。 (六道の辻とはこの世と冥界との境目です。京都の珍皇寺に六道の辻が有り 小野篁(平安初期の貴族)が裏庭にある井戸から夜毎冥府通いをしたとの 伝説が残されています。) 又日替わりで特別ゲストをお呼びしているとの事で、この日は文楽から人間国宝「七代目竹本住大夫(たけもとすみたゆう・92歳)」が出演されました。住大夫は羽織袴姿では無くスーツ姿で現れ、閻魔役の南光と米朝の思い出話をしてくれました。 米朝師匠は若い頃上方落語の復興だけでは無く上方芸能全般の復活を考え「上方風流(かみがたぶり)」と言いう会を作り、狂言の茂山千之丞、文楽の竹本住大夫、吉田簔助、吉田文雀、歌舞伎の坂田藤十郎、喜劇の藤山寛美、等同世代の仲間とジャンルを超えて上方芸能や文化の復興に努められたそうです。 住大夫は二年前引退され、以後人前で浄瑠璃を語った事は無いそうですが、当日は私達の為「帯屋」の一節を語って下さいました。 (浄瑠璃・義太夫は私には良く分かりません。歌舞伎で浄瑠璃を語る時はイヤホンガイド で解説を聞きますので何とか理解できますが、浄瑠璃だけですと言葉の意味が分かり ません。 歌舞伎だけでは無く文楽(人形浄瑠璃)にも趣味の幅をひろげ、義太夫位は分かる様 になりたいのですが、家内と二人分の費用がかかりますので、残念ながら年金生活者 にはそうそう、お金は続きません。) 私も老いぼれ爺となり、時々飲み物などを誤嚥して咳き込み苦しい思いをする事があるのですが、堅丸の様に餅を喉に詰まらせ冥土へと旅立つ日も真近にせまっているのかも知れません。(26年5月誤嚥、参照) 劇中で閻魔様は「一芸に秀でた者は極楽に行かせてやる」と言われましたが、私は無芸大食何の取り柄も無い男です。又信仰心の薄い私の様な輩は、地獄行は間違い無いと覚悟していましたが、閻魔様に地獄行きの判決を受けた亡者は、閻魔ガールズと言う大勢の綺麗なお姉さん達に捕まって地獄に連れていかれるのですが、私は現世でもこれ程お姉さん方にもてた事はありません。 こんなに楽しく面白い地獄なら、虐めと嫉妬に満ち満ちた極楽より地獄の方が遙かに良い所の様に思われます。(27年11月お釈迦様の項ご参照) 歌舞伎は終演時間が8時を過ぎる為、いつもは幕間で弁当を頂き終演後直ぐに帰宅していたのですが、今回の芝居は7時に終わりましたので、松竹座の隣の「はり重」で美味しい夕食を頂きました。年金生活者の私達夫婦には目の玉が飛び出る程の価格でしたので、暫らくは御茶漬けと漬物生活になりそうです。(主夫業の私には、これ程嬉しい事はありません。) |
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主夫業その後 平成28年3月 以前、奥様の御指導の元、主夫業の研修を始めた事をお知らせさせて頂きましたが、その後の状況をお知らせさせて頂きます。 (27年1月謹賀新年・11月主夫業・参照) 主夫業の研修を始めて一年半を過ぎ、掃除・洗濯・食事の後片付け・お風呂掃除等々は奥様のお叱りを受ける事も無く出来る様になり、パンツやバッチの伸びたゴム紐も上手に交換出来る様になりました。 (奥様は私の掃除の仕方「四角い部屋を丸く掃除したり」、又洗濯物の干し方・たたみ 方・食器の洗い方等々等々・・・ご不満は多々おありの様で、苦情を言いたいけれど 随分と我慢をされておられるのだと思いますが?・・・・・・それでも時々堪忍袋の緒が 切れる様でご注意を頂く事があります。) しかし料理だけはどうしても手順を覚える事が出来ません。 朝食はパンと野菜サラダ・(ハム・ベーコン・ウインナー・卵・等)果物・ヨーグルト・コーヒーと、ほぼ毎日決まっていますので私でも作れる様になりました。 又ご飯や味噌汁、又焼き魚も奥様のご指導を頂かなくとも出来る様になりました。(味噌汁の具は奥様の指図に従います。)それから鍋料理の下ごしらえ位も出来る様になりました。 変わった料理では、「キビナゴの酢の物」これは私の好物で良く作ります。キビナゴの頭・骨・腸を取り除き酢で洗い、甘酢と生姜で味付けするのですが、甘酢の味加減が分からないのでこれだけは奥様に作ってもらいますが、他の作業は私にも出来る様になりました。 私が奥様のご指導を受けなくとも作れる料理はこれ位で、後は「肉じゃが」「八宝菜」「カレー」「魚の煮付け」「シチュー」「酢豚」「おでん」「筑前煮」「豚テキ」「パスタ」「ニラレバ炒め」・・・・エトセトラ・etc・・・・ (お魚の煮付けは大好きなのですが味付けを覚えられません) この様なお料理も今迄に何度も作らされたのですが、複雑で難しい料理の手順を覚える事が出来ず、料理の度毎に奥様のご指導を受けなければなりません。具材の切り方・味付けの仕方・火力の強さ・時間・等々、何度教えて頂いても覚える事が出来ないのです。料理の度毎にメモを取り覚える様にすれば良いのでしょうが、私はその様な事が大嫌いなのです。 学生の頃、皆様は授業の内容や先生が黒板に書かれた事項を丹念にノートに書き 写しておられましたが、私は必要と思われる所のみ教科書の余白にメモるだけでした。 当然ノートなど買った事もありません。今の会社に勤め始めた時にも、同僚は先輩に 教えて頂く事項を丹念にメモっておられましたが私は聞き流すだけでメモを取った事は 一度もありません。私は「お気楽」「エエカゲン」「何事も適当に」の三つをモットウとし てこの歳まで生きてきたのです。そんな私ですので、奥様の言われる事をメモって覚え る事は、私の信条?に反します 先日も「鶏のもも肉一つを、一口大に切って」との指示を受け冷蔵庫を開けると鶏のパックが二つありました。パックの中にはもも肉が二つ入っていましたが、私はてっきり一パックの鶏を切るのだと思い二つのもも肉を切った所、「二人で食べるのにこんなにも要らないっでしょう!!常識で分かるでしょう!!」とのお叱りを受けてしまいました。 (常識の無い男ですみませんネ!!・・・と私は僻んでイジケてしまいます。) 一事が万事。お料理に関しては全てがこんな調子で、毎回毎回ご指示を仰いでいますと、流石に奥様も鬱陶しくなってきたのでしょう。 「こんな事なら自分で作る方が早い」と最近では私に料理を教える事を諦めご自身で台所に立たれる事が多くなり、私はほっと一安心しています。(食後の後片付け位はさせて頂きますので、それ位でご勘弁願えれば嬉しいのですが。) |
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