仏教とキリスト教 令和3年2月 |
スケベな話も種が尽き、政治や経済の屁理屈話も面白くありませんので 徒然に思い付くままにパソコンのキーを叩きました。 徒然とは言いながら、兼好法師の簡潔で的を得た文章には遠く及ばず 皆様のお目を煩わせるだけの事だとは承知しておりますが、暫しのお付き合いをお願い申し上げます。 (21歳の女子大生、宇佐見 りん嬢の『推し、燃ゆ』が芥川賞を受賞されたそうですが、世の中には若くとも文才に長けた方がおられるのですね。 私如きにはとてもとても・・・・・・雲泥の差、月とスッポン、提灯に釣り鐘でございます。 2~3年後、図書館での予約者が少なくなった頃にお借りしたいと思いますが、若い女性がスケベ話を書く訳も無く、文芸書など難解で面白く無く途中で返却してしまうかも知れませんが。) 正月休みに暇に飽かせて、ひろさちや氏の「仏教とキリスト教」(新潮新書)を読ませて頂きました。(尤も私は365日休みですから、盆も正月も関係ありませんが) 老いてまいりますと閻魔様が直ぐ後ろで手招きされておられる様に思われ、神様仏様の事が思い浮かびついつい抹香臭くなってしまいます。 古人曰く 「老いは八苦の随一、何事につけても、昔にかはりて、身くるしく、さはりのみをほき中にも、人にいとにくまれ、わらはれ侍り。」 ・・無住道暁、鎌倉時代の臨済宗の僧侶で沙石集の編者、・・ 老いは八苦の随一とは!!。障り多く苦しみながら、人に憎まれ・笑われ、長生きするよりも、早々にあの世とやらに旅立ちたいものでございます。 (生命保険会社のコマーシャルによれば2025年には65歳以上の5人に1人は認知症になるそうです。2025年には私は80歳になっており認知症になる確率はもっと高くなります。 予てよりお知らせさせて頂いている様に、私の前頭葉や海馬は機能低下の為、自制心が失われ色呆け症状が酷くなってまいりました。これは認知症の前兆に違いありません。 呆けて糞尿を垂れ流し徘徊を繰り返す、若しくはオムツをした寝たきり老人になる位なら、コロナも癌も問いません。早く死んでしまう方が遥かに良いと思ってしまいます。 昨年も申し上げましたが、私の膵臓には膵嚢胞があり、将来膵臓癌になる確率が高いそうです。膵臓癌は致死率の高い癌ですが、折角閻魔様がお呼びして下さるのですから、膵臓の定期検査など止めようか?と迷っています。 私はタマタマ膵臓検査を受ける機会があり膵嚢胞が見つかりましたが、世の中には膵嚢胞に気が付かず呑気に過ごしておられる方は大勢おられると思います。同様に胃癌・肺癌・大腸癌・・・etc。 私は癌検診を受けていないので気が付かないだけで、既に私の体は癌に侵されていて、近い将来余命3か月などとの宣告を受けるかも知れませんが、それはそれで良いではありませんか。その日まではお気楽に過ごせるのですから。膵臓癌も同様で検査など受けず毎日お気楽に過ごし、もしも癌になったとしても「アッそうなの」と素直に死んでしまえば良いのです。 明日にもコロナで死ぬか、はたまた車に轢かれたり、餅を喉に詰まらせ死ぬかも知れないのですから、年寄りには癌の心配など無用な事でございます。) 私は浄土真宗の信徒ではありませんが、親鸞聖人のお言葉に従い死ぬ前に「南無阿弥陀仏」と一言唱えれば極楽浄土に行ける物と思っていましたが、菊池寛の小説「極楽」によれば極楽程退屈な所は無く地獄の方が未だしも面白いのかも知れません。 (令和元年5月、命の蝋燭参照) 浄土には西方極楽浄土(阿弥陀如来)だけでは無く、東方浄瑠璃寺浄土(薬師如来)や補陀落浄土(観音菩薩)霊山浄土(釈迦如来)密巌浄土(大日如来) ・・・等々、如来様・菩薩様それぞれの浄土があるそうです。 もしかすると極楽よりも、もっと面白い浄土があるのかも知れません。 好色一代男の世之介が向かったと言われる女護島(にょごのしま)の様な浄土があれば喜んで逝きたいのですが。 |
![]() ![]() ![]() 女護島に向かう世之介 |
私は偏屈で臍曲がりの爺ですから、ひろ先生のお話を真面目には読まず曲解し無理にも捻じ曲げて解釈していますので、以下の拙文の文責はひろ先生では無く私にあります。 ひろ先生は大阪生まれで今年84歳になられるそうですが、同じ関西人でありながら、先生の「広く皆様に宗教を理解して貰おう」との高邁なお話を、 卑俗で低劣な解釈しか出来ず、誠に申し訳ございません。 ひろさちや氏によれば、キリスト教は「愛」(アガペー)の宗教だそうですが、 偏屈爺の私には言葉通りには受け取れません。 (愛にはアガペー・ラブ・エロスの三つの愛があるそうです。私はエロスが好きですが。) フランス国旗の三色の意味は自由・平等・博愛ですが、博愛の意味は同胞への博愛と言う意味で同胞以外は差別虐待殺戮を行っても良いと聞いた事がありますが、キリスト教も同様で他民族や異教徒には愛を及ぼす必要は無いと考えておられるのではないでしょうか。 度重なる十字軍の遠征や他民族の植民地支配・奴隷制度、現在に迄続く人種差別意識等々は、キリスト教の「愛」は自分達仲間内だけでの愛で他民族や他宗教は認めないと言う、頑なな宗教だと思います。 民族(民俗も同様です。今年の共通一次試験に出題されましたが)に染み付いた宗教的な習慣や思想は一朝一夕で変わる事ではありません。 現代の米国に於いても人種差別傾向の強いトランプ氏を支持される方は半数近くもおられるのです。 (私はトランプ大統領は差別したのでは無く区別したのだと考え、それほど非難される事では無く、逆に日本にとっては中国問題・北朝鮮問題等益する事の多い大統領だったと思います。安倍総理の対米戦略も良かったのでしょう。米国のTTP離脱は残念でしたが。 米国の民主党はリベラル指向で人権を重視し差別反対の様に見えますが、民主党支持者の中にも人種差別意識や性的少数者を差別する意識を持っておられる方は多いと思います。 ユダヤ人は差別された人種だと誰しもが知っていますが、欧米人は日本人を含め黄色人種にはユダヤ人以上に差別意識を持たれる方が多い事も知っておかねばなりません。 反日主義で日本を戦争に引きずり込んだ(ハルノート)ルーズベルトも原爆投下をしたトルーマンも民主党員で、その上トルーマンはクークラクスクラン(KKK)の会員で歴然とした人種差別主義者です 昭和20年8月には日本の軍事力は壊滅し戦闘能力が無くなっていたにも関わらず、一般市民を殺戮する空襲や原爆投下は黄色い猿を(日本人)モルモット代りに実験したとしか思えません。 黄色い猿は英国のチャーチル首相が日本人を蔑視して言った言葉です。 朝鮮戦争はトルーマン民主党大統領・ベトナム戦争もケネディ民主党大統領が始めた事を忘れてはなりません。近い将来、戦争が起こる可能性はトランプ大統領よりもバイデン大統領の方が高いかも知れません。・・・・イラク戦争はブッシュ共和党大統領が始めましたが。 この様な事を言ったからとて、私は反米・反西欧主義者ではありません。相手の事を良く知る事が重要なのです。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」と言うではありませんか。) この様に愛(アガペー)に対する考え方は母宗教のユダヤ教・兄弟宗教のイスラム教にも通じる考え方で、その為これらの宗教を信じる方々は中世から現在に至るまで争いを続けておられるのです。GOD・ヤハウエ・キリスト・アッラーと呼び名は異なっても旧約聖書の創造主・同じ神様を信じる方々ですから、典型的な近親憎悪なのでしょう。 これらの方々は信仰を放棄しない限り、これから先も千年も二千年も争いは続くのだと思います。 (キリスト教徒はGODが人々を救済する為にイエスキリストを遣わされ、神の子と考えていますが、 ユダヤ教徒は単なる宗教指導者(人間)の一人と考え、イスラム教徒は神はキリストを預言者にしたが、人々は悔い改めないので、改めてマホメットを預言者として遣わされた、と考えているそうです。 イスラム教徒にはキリストはマホメットより格下の預言者の一人にしか過ぎないのです。 預言者とは、神意を伝達して神と人とを仲介する人、との意味、で予言者ではありません。) |
イエス・キリストのイエスは「神は救う」との意味で、キリストも「聖油を注がれた者」との意味があるそうで、救世主・救済者との意味があるそうです。 30歳頃から布教活動を始め(キリスト教では無くユダヤ教の改革運動)僅か2年で十字架に掛けられます。ユダヤ教を批判し改革運動を行えば、旧来のユダヤ教信者からは、キリストの教えは穢れて忌まわしい不義の子(キリスト)の戯言に過ぎないと忌み嫌われ迫害を受けるのは当然の事でしょう。 豊臣秀吉が日輪(太陽)の子供だなどと、秀吉教信者(?)以外は誰も信じないのと同じ様に、キリストが神の子だと信じるユダヤ教徒はおりません。 (令和2年7月、グレゴリウスの後半、私の妄想と屁理屈を参照) 癩病を治し盲や聾 も治し、死者を蘇らせたりと様々な奇跡を起こしますが、(こんな事は嘘に決まっているでしょう。)2年では如何に偉大な指導者でも布教の拡大は無理でキリスト教が世界宗教に成り得たのは、弟子のペトロやパウロの力が大きかったのでしょう。 十字架に張り付けになり三日後に復活し40日間も弟子の前に姿を現した事が布教活動に弾みをつけたのだと思いますが、誰が考えた作戦かは分かりませんが、復活とは上手い事を考えた物です。 (私はイエスの死後教団を牛耳った、悪賢い(?)ペトロが考えた事かも知れないと思います。ペトロはイエスが逮捕された時、鶏が鳴くまでの間に三度もイエスなど知らないと言った男です。) (十字架に手足を釘で打ち付けられ、両肩は体重を支えられず脱臼し、横隔膜に体重がかかる為呼吸困難をおこすそうです。死亡するまで何日も苦しみ続ける拷問死なのです。キリストは十字架を担がされた時、他人に助けて貰う程体力が無かったので、処刑の日に死亡したそうです。 ローマでは反逆者のみがこの刑を受けたそうですが、余りにも残虐な刑でローマ市民権を持つ者には適用されなかったそうです。キリストがユダヤ教徒の讒言でローマへの反逆者と判定されたのは分かりますが、同時に磔刑された二人は盗賊で反逆者では無い事が理解出来ないのですが?。 肖像画では腰布を巻いていますが、実際は素っ裸で血と糞尿にまみれた凄惨な状況になるそうです。キリストはユダヤ教徒のヨセフの子と生まれましたから、乳児の頃割礼をしていて、包茎では無く剥けチンコです。当時割礼の習慣はユダヤ人だけでしたから、ユダヤ人だと言う事を隠す為に腰布を描いたとの説もあります。槍でキリストを突く絵もありますが、これは死亡を確認する為、槍で突いたのだそうです。) ユダが裏切ったりしなければ、キリストは十字架に掛かる事は無く、当然復活などとの芝居を演じる事も出来ず、キリスト教はユダヤ教の一宗派でしか過ぎず、歴史の中で泡沫の如く消え去っていたのかも知れません。 キリスト教が世界宗教に育ったのにはユダの功績は大きな物があります。 ユダこそがキリスト教の一大聖人と言えるのではないでしょうか。 (令和2年7月グレゴグリウス参照) 死の直前キリストは「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」(マタイの福音書27章46節)「わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのですか」と言ったそうです。 イエスが神を「父」とは呼ばず、審判される側に立ち、自己を罪人と完全に一つにして、神の裁きを受けている。とキリスト教徒は解釈されるそうですが、私には神の助けの無い事、神は存在しないとの絶望の声に聞こえます。 揚げ足取の様な話になりますが、マタイ伝の山上の垂訓では、信者にとんでもない事を要求しています。 姦淫する事なかれと言える事あるを汝らは聞けり、されど我は汝らに告ぐ、全て色情を懐きて女を見るものは、既に心の内に姦淫したるなり。もし右の眼汝を躓(つまず)かせば、抉り出して棄てよ、もし右の手汝を躓かせば切り棄てよ。 (旧約聖書モーゼの十戒の7番目に「汝姦淫するなかれ」とあります。) 余談、汝姦淫するなかれは英語では(Thou shalt not commit adultery)ですが誤植でnot が抜け、汝姦淫すべし(Thou shalt commit adultery)との姦淫聖書があるそうです。 「右の手汝を躓かせば」と、わざわざ右手と指定している事から、「躓く」とはマスタベーションの事を言っている様にも思えます。旧約聖書では避妊の為の膣外射精は禁止されているそうですが、(オナニーの語源です。)マスタベーションも禁止しているのでしょうか?。 外人の裏DVDで女性の顔面や胸に射精する場面を見る事がありますが、彼等は膣外射精で罪を重ねる事・神を冒涜する事が面白いのでしょうか?。 「姦淫する事なかれ」位ならクリスチャンでも無い愚妻迄もが私に強要している事ですから我慢も出来ますが、色情を懐くだけでもいけないとは!!。 もしも私がキリスト教徒なら、片目片手で収まらず両目は抉り出され、両手両足迄も切り棄てなければなりません。 若くて美人でおっぱいとお尻の大きな女性を見て、色情を抱かぬ男などいる訳がありません。スケベ男は中村芝翫や宮崎謙介だけではありません。私が存じ上げている知人・友人は全てスケベ男ばかりですから、キリスト教信者にはなれません。(貴兄も貴姉のご主人も同様です。) (地球上に生命が誕生したのは38億年前と言われ、現代870万種もの生物がいると言われますが、これは進化の賜物なのです。牡はより多くの子孫を残そうと多くの牝との交配を繰り返し、牝はより優れた子孫を残そうと優れた遺伝子を持つ牡との交配を求める、遺伝子競争の結果なのです。 人類が現代の繁栄を得る事が出来たのも、より優れた遺伝子を残そうと努力(姦淫)を続けて下さった先人のお陰なのです。このシステムはGOD・神様、貴方が作られたシステムではありませんか。 それを今更姦淫はならぬとは!。貴方(GOD)は自らが作られたシステムを否定されるのですか?。 遺伝子の指示に従い世界中の男は全てスケベだと私は思っています。 キリスト教徒も同様でローマ教皇(法王)始め枢機卿・大司教・末端の神父に至るまで女性を見て一度も色情を感じなかった男などいる訳はありません。にも拘わらず目を抉り出し手を切り棄てた聖職者は一人としておられません。 敬虔なキリスト教徒など存在しなくて、己が色情を懐いた事を隠す嘘つきでエエカゲンなキリスト教徒ばかりだと私は思っています。 ホモの男だけは女性に会っても色情を懐く事は無く真のキリスト教徒の資格はありますが、パウロ書簡の第一コリント6章では男色も禁止されていますので、男は敬虔なキリスト教徒にはなれないのです。 女性も色情を懐く事はあると思いますが、聖書には目を抉り出せとも手を切り捨てよとも書かれてはいませんので、女性は色情を懐く事は許されているのでしょう。(尤も、私の様な白髪の禿げ頭を見て、色情を懐いて下さる女性などおられる訳はありませんので、どうでもいい話ですが) 健常者なら思春期から青年期に色情を懐かぬ訳が無く、キリストの性器は発育不全で性的不能者だったので、健常者を妬みこんな自棄(やけ)な事を垂訓したに違いありません。小さなチンコだから結婚出来ず、マスタベーションはおろか夢精の経験すら無なかったのでしょう。 キリストのチンコは幼児の様な一寸法師で3cm、小指位だったのでしょう。 一寸法師の打ち出の小槌があれば、チンコと金玉を大きくして神様などにならずに平凡でも幸せな結婚生活を送れたのだと思います。 その上キリストは不義の子・父無し子なのです。三位一体(神とキリストと精霊)神の子などと、キリスト教徒は信じておられるのでしょうが、当時旧約聖書の厳しい戒律に縛られたユダヤ教徒から見れば、マリアの姦淫で生まれた父無し子でしか無く、差別され虐められて育ったに違いありません。 旧約聖書では姦淫で生まれたキリスト母子は救われないので、新しく神との契約を結び直そうと新約聖書を考えたのだと思います。 (信仰心が薄くてへそ曲がりの私だけがこんな事を考えるのでしょうか?。) キリスト教の「愛」に対し仏教は「智慧」の宗教だとひろ先生は仰っておられます。智慧とは世の中の真理を知る事で知恵(頭が良い事)ではありません。 お釈迦様は6年の厳しい修行の結果、厳しい修行も王侯貴族の華美な生活も悟りに繋がらず、中道こそが悟りの道だと気づかれたのです。 ![]() ![]() 龍安寺の蹲踞(つくばい) 吾唯足るを知る 仏教とは仏陀の教えであり、仏陀になる為の教えなのです。 貴方も私も真理を知る事、智慧を得る事で仏陀になれる、少しでも仏陀に近づけると言う教えなのです。 (キリスト教はキリストの教えではありますが、GODやキリストになる為の教えではありません。) 智慧(世の中の真理を知る)とは、四諦(したい)を知る事だそうです。 ①苦諦・・・生きる事が苦である事を認識。・・・四苦八苦 ②集諦・・・苦の原因が欲望・煩悩である事を知る。 ③滅諦・・・苦の消滅・執着を断つ。小欲知足 ④道諦・・・悟りに導く実践、欲望のコントロールの方法が智慧 (四苦八苦とは、生老病死の四苦に愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の四苦を合わせ八苦だそうです。) 私如き凡夫には、叶わぬ願いと欲望を諦める事はあっても執着を断つ事は難しそうで、智慧を得る所までの修行など出来そうもありません。 日本では葬式仏教との言葉がある様に、僧侶の仕事は葬式と法事だけになってしまいました。私達日本人には仏教以前に祖霊を大切に祀る・弔うとの霊魂感があり、霊を祀らず放置すれば祟るとの意識もあり、仏教は日本人の霊魂感に迎合し葬式や法事を大事に扱う様になったそうです。 無宗教を自称される方でも身内の葬儀には必ず僧侶を呼びます。皆様僧侶の前では神妙に頭を垂れ、お経を聞き故人の冥福を祈るのが日本人なのです。 六道輪廻の考えでは、死後7日毎に亡者の裁きが行われ、7回目の裁き即ち7×7=49日は満中陰で亡者の行き先が決まるそうです。 六道の天界・人界・修羅・畜生・餓鬼・地獄の何れかの世界に生まれ変わるので、遺族は故人が出来るだけ良い世界に生まれ変わる事を願い法事を行うのですが、故人の生前の行いによって生まれ変わり先は決まる事なので、法事に大した意味は無い様に思うのですが?。 何故かは分かりませんが閻魔大王の裁きは5回目の35日目に裁きをされるそうで、7回目の最終の裁きは泰山王と言う王様がなされるそうです。 お釈迦様にも、色んな話が伝わっています。16歳でヤショーダラと結婚し29歳で妻子を捨て出家しますが、息子のラフーラが生まれた日に出家したとの説と、奥様ヤショ-ダラは胎児を6年も体内に留め釈迦が悟りを得た日に出産したとの説があります。 16歳から29歳まで13年もの間子供が生まれなかったとは?、10代後半から20代の頃は旺盛な性欲があり、小林一茶の様に日に何度もセックスを繰り返していたはずで、子供が生まれない訳がありません。 お釈迦様は種無しだったのか、それともキリストと同じく性的不能者でセックスレスだったのかも知れません。 ヤショ-ダラは10歳で結婚したとの説もありますが(17歳説もあります)、それでも5年後のヤショ-ダラ15歳お釈迦様21歳の頃なら出産は可能です。 大般若経にはお釈迦様の三十二相が述べられており、チンチンは馬陰蔵相(めおんぞうそう)で体内に隠されていたそうです。この話が本当なら、いわゆる埋没陰茎で、当時は手術も出来ず性行為は出来なかったのです。 お釈迦様はラフーラが生まれた日に、自身の埋没陰茎とヤショ-ダラの裏切り行為に絶望して、全てを捨てお城を出られたのかも知れません。 ラフーラには悪魔との意味があるそうで、親が息子にこんな名を付けるとは、お前は俺の子では無いと明言した様なものです。 ラフーラがお釈迦様の子供では無い可能性は大きいと思います。 又従弟で弟子でもある提婆達多(だいばだった)はヤショーダラに懸想して不義を働いたとの説もあり、この説なら6年後の出産も説明がつきますが、この時の提婆達多は未だ幼くてあり得ない事だそうです。 当時のインドの方々もラフーラの出生に疑問をお持ちだったので、こんな話が生まれたのでしょう。 お釈迦様の出家の裏には、複雑でお気の毒な家庭事情・肉体事情を抱えておられたのかも知れません。 ソクラテスは「悪妻を持てば哲学者になれる」と言いましたが、哲学者も宗教家も似た様なものです。お釈迦様に肉体的欠陥が無かったとすればヤショーダラはクサンティッペ(ソクラテスの第一婦人)以上の悪妻だったのかも知れません。(ソクラテスとクサンティッペの話は、令和2年9月、死にたい訳ではありません、参照) ヤショーダラとラフーラは後にお釈迦様の弟子になりますが、悟りを得たお釈迦様は全てをお許しになられたのでしょう。 ひろ先生のお話は納得できるのですが、なんとなく心の隅には妙なわだかまりが残ってしまいます。私の持って生まれた臍曲がり根性の所為でしょうか?。 小乗仏教(上座部仏教・インド及び東南アジア)と大乗仏教(日本)と言われますが、登山に例えると小乗仏教は独りで登り心身を鍛え、大乗仏教は登りながらも登山道を整備し大勢の方が登れる様にする、その様な違いがあるそうです。 小乗仏教の方々は大乗仏教は堕落すると言われているそうで、日本の僧侶が妻帯する事を、僧にはあるまじき行為と呆れているそうです。 浄土真宗は宗祖の親鸞は妻帯を認めておられますので、真宗の僧侶は別として、他の宗派の僧侶は僧としての戒を犯しておられるのです。真言宗の理趣経では男女の性愛を認めていますが、高野山は明治の末まで女人禁制だったので教義上は僧侶の妻帯は認めていないと思います。 禅宗のお寺の山門には「不許葷酒入山門」と書かれていますが、「許されざるの葷酒山門に入る。」と読まれる不埒なお坊様もおられる様です。 上座部仏教の方々から堕落していると言われても返す言葉も無いのでは無いでしょうか?。(葷とは葱・韮や大蒜の様な匂いの強い植物。) (インド仏教では、お布施を受けた物は食べなければ信者は功徳を積めないので食べなければならず、肉食禁止では無いそうです、多分葷も良いのでしょう。お酒は禁止されていますが、煙草には規定はありません。お釈迦様の頃は煙草は無かったので当然ですが。) かく言う私には、お坊様や他人様の事を悪し様に言う資格はありません。 いい歳になりながら、欲望・煩悩の渦の中から抜け出す事が出来ず、お釈迦様の智慧の教えには程遠い所におります。 老いて猶、残生白髪猶淫色(老い先短い白髪になった今も、淫欲が残っている) 「地獄は一定すみかぞかし」(歎異抄・親鸞) 毎日お気楽三昧に過ごしながらも、世の中を斜めに見る事しか出来ず、スケベな事を妄想している私には、地獄の他に行き場はありません。 (臍の曲がった私の様な輩の面倒を見て下さった、心優しい 奥様、余計な事を書きましたが、少しふざけただけで本意ではありませんので、取り消し線で訂正させて頂きました。お怒りを鎮めお許し下さいます様お願い申し上げます。 超自然の力を信じる心が社会的な結びつきを強くする事も有り、来世といった目に見えず、科学で明らかにされないものでも、年寄りや死期を迎えた病人が癒される事があるのではないでしょうか。 こうした霊性・精神性を素直を受け止める事で、社会的な絆を保ち豊かで心静かな老後に繋がり、穏やかな死を迎える事が出来るのではないでしょうか?。 私達は「信教の自由」の名の元に宗教を教わる事はありませんでした。この考えは間違いで、宗教教育は行われるべきだと思います。 私の様に臍曲がりで屁理屈ばかりを言う様な輩を、これ以上出さない為にも。 追記 2月3日 「イエスは精神分裂病だった」との説もあるそうです。世界崩壊感覚即ち終末感は分裂病(統合失調症)の症状の一つだそうです。 又、お釈迦様にも「悪く言えば金持ちの坊ちゃまが悩んで考えついたもの」で仏教の悟りの境地とは「離人症性障害」の症候に似ているのでは無いか。と言われるそうです。(知的唯仏論より、宮崎哲弥・呉智英対談) |