君が代(国歌) 令和3年5月 |
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先日古典の解説書を読んでいて、古今集と君が代に深い関係がある事を知りました。国歌「君が代」は古今集の歌が元歌だったそうです。 君が代は世界一短い国歌だそうです。僅か三十一文字の短歌ですから当然ですが、この短い歌の中に深い意味があり、私達は国歌に誇りを持つ為に、もう一度この歌の意味を勉強しなければならないと思います。 (さざれ石の・・・は5文字で無く6文字ですから32文字になりますが。) 私は「君が代」とは天皇陛下治世の世の中と捉えて、皇統の永続性を示し陛下の治世がいつまでも続きます様にとの意味だと思っていました。 明治の始め、国歌として定められた時にはこの様な意味があったのでしょう。私は天皇制を支持し国歌として不当とは思いませんが、天皇制に反対される方々が国歌にも反対する事はやむを得ない事と思っています。 以前、学校行事で国歌「君が代」を斉唱する・しない・で問題になった事がありましたが、平成11年「国旗国歌法」が成立し、最近は国歌の斉唱や国旗掲揚の問題で反対される教師もいなくなった様です。 橋下大阪市長が起立斉唱をしなかった教師に減給処分をし、裁判で争われましたが、「起立斉唱は慣例上の儀礼的所作で、個人の思想良心の自由を直ちには制約しない。」との判決で橋下市長が勝訴されました。 当時国旗国歌に反対されていた方々は今どうされておられるのでしょうか。 国旗国歌にたいする考え方は私とは異なりますが、異なってはいてもそれはそれで一つの考え方で、日本では信教・言論の自由が保証されているのですから、「敵は幾万ありとても」と毅然として自分の信念を貫けば良いのです。公立学校の教師なら公務員ですから、国旗国歌法に従わねばならず、退職して私学の教師になるか他に仕事を探して「国旗」には敬意を払わず「君が代」は歌わないとの信念を貫けば良いのです。 しかしながら国旗国歌法が成立した後、敢然として教職を辞した方がおられたとの話は聞いた事がありませんので、国旗を掲揚し国歌を斉唱しながら教職を続けておられるのだと思いますが、己の信念を貫く事すら出来ないヘタレで情けない輩だったのでしょう。 若しくは、私以上の臍曲がりで且つ自己顕示欲の強い方で、国旗掲揚国歌斉唱に反対したのも、深い考えも無く単に政府の行う事には何でも反対する、単なる不平不満分子に過ぎなかっただけかも知れません。 その程度の輩だったので公務員としての安定した身分・収入を放棄して自分の信念を貫く程の気概など無い方々だったのでしょう。 動物園の猿の様に保護された檻の中で騒いでいただけで、檻を出て自分で餌を探す意欲も能力も無いのでしょう。動物園の猿同様の方々は、教師失格以前に人間として失格で私は軽蔑しています。 将に英国のジョンソン首相が言われたyou great big girl blouseです。 (大きな女の子のブラウスとは、文句ばかり言うひ弱で男らしくない男、との意味だそうです。) 国旗・国歌が戦争の象徴だとの考えは余りにも恣意的で短絡的な考えです。掌の表裏と同じ様に何事もに色んな見方があり、もっと多面的な見方が出来なければ、教師として生徒を指導する事など出来ません。 君が代の歌は古今集に収録された343番目の歌で詠み人知らずの歌が元になっているそうです。古今集(905年編纂)は万葉集編纂以降の140年間の秀歌を集めた勅撰和歌集で、この歌が詠み人知らずとは古今集編纂時には既に多くの人々に広く愛され謡われていた歌だったのです。 私も勉強不足で国歌の基になる歌が古今集に収録されている事を今まで知りませんでした。古文は好きな授業でしたが恐らく教えて頂いてはいないのでしょう。 (大学に進学し日本文学を専攻すれば勉強出来たのでしょうが、所詮高卒では知識不足です。) 私の子供時代は日教組全盛の頃で、反国旗・反国歌の考えの教師が多かったので、教えようとはしなかったのでしょう。或いは古今集など読んだ事も無い教師が多かったのかも知れません。多くの日本人も知らない方が多いのでは無いでしょうか?。 古今集の歌は 我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで 元歌の意味は、我が君とは亭主の事で40才を迎えた亭主を妻が祝い千夜・八千夜(何時までも長い間との意味で8千日とは22年)も元気で長生きして下さい。か弱い細石の様な私が巌になり苔が生えるまで。との意味で女房の亭主への深い愛の歌だったのです。 平安時代末期には、「我が君」を「君が代」に替え一般的に長寿を祝う歌となり、君とは祝賀を受ける人を差す言葉だったそうです。更に時代が進むと恋の小唄としても唄われたそうです。 家内も私が長生きする事を願っていると思いますが、亭主への愛では無く年金への愛に違いありません。50余年前はか弱いさざれ石の様な乙女が今では苔むした大きな巌となり、亭主をお尻の下に敷き、私は息も絶え絶えになっております。 この歌の作者も、家内の様に「巌に苔が生えるまで稼ぎ続けて養って下さい、」との意味でしょうか?。女は怖い、この歌の真意はそんな事かも知れませんが?。 ![]() ![]() ![]() |
家内の話はともかくとして、君が代は元々は夫婦の深い愛の歌なのです。それが長寿を祝う歌となり、恋歌にもなったのです。 明治の始め、国歌制定の必要に迫られた時、大山巌が自分の愛唱歌薩摩琵琶の蓬莱山の歌詞の中から、君が代を選び出したそうです。 古今集の歌が蓬莱山の歌詞に取り入れられ謡われていたのです。 蓬莱山とは仙人の住む東海の霊山ですから、多分長壽を言祝ぐ歌だったと思います。結婚式の高砂の様に、蓬莱山の歌は長壽を祝う歌として薩摩では普通に唄われていたのです。 明治の元勲・大山巌だけでは無く、多くの方々が日頃祝いの席等で唄っていた歌の中から国歌が生まれたのです。 大山巌が夫婦愛の歌と唄ったのか、それとも長壽の祝い・あるいは恋の歌として唄ったのかは分かりませんが、国歌に選んだ背景には君を天皇と捉え皇室の繁栄を願っていたのは間違い無いでしょう。 古今集は勅撰和歌集として905年に編纂されました。以来1,100年以上国民に愛され、万葉集と並ぶ私達日本人の宝物です。 その中の一首が国歌として採用されたのです。「君が代」の歌には皇室の繁栄を願う心だけでは無く、夫婦の愛情・長壽の祝い・恋の歌・との様々な想いが込められているのです。なんと素晴らしい歌ではありませんか!。 (藤原定家が選んだ百人一首は、最近では中高生にも教えられている様で映画にもなり皆様ご存知だと思いますが、百首の内24首・ほぼ四分の一は古今和歌集から選ばれています。君が代(我が君)の歌は詠み人知らずの為百人一首には選ばれませんでした。) |
又古代、君のキは大人の男性を表しミは大人の女性を意味したそうです。 日本神話のイザナギノミコト、(誘・いざなう男)(イザナミノミコト(誘・いざなう女)。 「君」とは大人の男女を意味した言葉だったのです。「代」は時代を超えてとの意味で、「千代に八千代」は永遠に千年も万年も、生まれ変わっても尚、「さざれ石の巌になりて」は協力し団結して、「苔のむすまで」は固い信頼と絆で結びついて、との意味があるそうです。 私達夫婦は何時までも信頼と絆で結びつき協力して行きましょう。 との歌なのです。 天皇制を美化するとか戦争の象徴だとかの意味は全く無かったのです。 人々の愛・夫婦の愛と繁栄と団結を謳いあげた祝いの歌なのです。 こんな素晴らしい歌が千年以上も昔に生まれ古今和歌集にも選ばれ、江戸時代には庶民の祝いの席で謡曲として謡われたのです。 千年の時を超え人々に祝い唄として歌い継がれた歌を、国歌と決められた明治の元勲の智慧に感謝するばかりです。 私は国歌「君が代」に益々誇りを持つ事が出来ました。 余談ですが ![]() ![]() ![]() ![]() 戦後76年にもなりますが、自民党以外の政権は昭和22年の片山内閣10ケ月と平成5年の細川内閣10ケ月、平成9年から12年の民主党政権3年2ケ月合わせて4年10ケ月しかありません。平成6年、1年2ケ月の村山内閣は自社さ連立内閣ですが、自民党が最大政党で社会党内閣とは言い難く、変則的な自民党政権だと思いますが、それを合わせても6年で僅か8%弱の期間にしか過ぎません。 (片山哲第46代内閣総理大臣は、私の母校和歌山県立田辺高校の先輩ですが神奈川県から国会議員に出馬し総理になられました。和歌山県人は私の様にエエカゲンでヘタレなくせに臍の曲がった奴が多いのですが、片山氏は和歌山県人?神奈川県人?、どちらの気風を受け継いでいたのでしょうか?。上記の写真に菅直人の写真を加えれば戦後のワースト総理番付ベスト5になるのでしょう。ワーストトップは菅直人だと私は思っています。) 野党の方々が政府方針に反対されるのは自由ですが、日本政府とは選挙で国民の多数が選んだ政権なのです。政府の考えと異なる意見とは、少数意見だと自覚して発言すべきだと思います。 安易に「国民の声を聞け」などと言って貰っては困ります。野党の方々が国民の声と言われる度に、貴方達と考えが異なる私は国民では無いのかと思ってしまいます。「一部の国民の声」と言って頂かねばなりません。 野党の皆様は戦後76年も経過しても国民の極一部の支持しか得られない事・多数の国民は野党の考えを受け入れない事を、真面目に考えようともしないとは?。何故多くの国民の支持を得ようとはしないのでしょうか?。 責任ある政党と言いたければ、76年間の半分とは言わずともせめて3割以上の期間は政権政党にならねばなりません。 彼等には政権を担当する意欲は無く、少数者の支持で良いから己一人の国会議員の地位を保全する事のみに汲々としているとしか思えません。 これらの方も軽蔑するしかありません。 (昭和30年吉田茂の自由党と鳩山一郎の民主党が保守合同を行い自民党が出来ましたが、鳩山一郎の民主党と平成21年の鳩山由紀夫の民主党とは、全く異なる政党です。鳩山由紀夫は一郎の孫ですが、政治家としての能力は皆無で祖父の一郎や父の威一郎は草葉の陰で涙を流しておられるのでしょう。三代目は身上を潰すと言いますが将に諺通りになってしまいました。) (呆け爺の偏見ですが) |