屙屎送尿著衣喫飯 令和4年5月 |
あしそうにょう じゃくえきっぱん (屙屎とは大便をする事で送尿は小便をする事だそうです。著衣喫飯は読んで字の如し。 屙と衹と橛の字は漢字変換出来ないのでIMEパッドからの転写で、書体が変わりました。) |
以前一休禅師の、「世の中は食うて箱(糞)して寝て起きて さてその後は死ぬるばかりよ」との歌を紹介させて頂いた事があります。 一休さん独特のウィットに富んだ皮肉で、一休禅師オリジナルの歌・言葉だと思っていたのですが、更に調べますと、臨済禅師(9世紀唐の禅僧)の「臨済録」に「屙屎送尿著衣喫飯」との教えがあるそうです。 一休禅師は臨済宗大徳寺派のお坊様ですから、臨済録はご承知で、この教えを元に上記の歌を詠んだのでしょう。又臨済宗のお坊様は皆様ご存知の教えだと思います。(臨済宗は12世紀栄西により日本に伝えられました。) 私の白浜の実家は臨済宗妙心寺派のお寺さんの檀家ですが、お葬式と法事の時に和尚様にお会いするだけで、お経を聞き、白隠禅師坐禅和讃を唱えるだけでしたので、臨済録の事は全く知りませんでした。 十余年前京都の妙心寺で一日座禅の会に参加させて頂いた事がありましたが、僅か一日では臨済録の話を聞くべくもありません。 臨済宗の円覚寺管長(鎌倉)の横田南嶺氏が私にも理解できる様、易しく説明しておられます。黄色い項に管長のお話を要約しました。 |
師、衆に示して云く、 「道流、仏法は用功(ゆうこう)の処無し、衹(た)だ是れ平常無事(びょうじょうぶじ) 。屙屎送尿(あしそうにょう)著衣喫飯(じゃくえきっぱん)困(つか)れ来れば即ち臥(ふ)す。」 愚人は我を笑うも、智は乃ち焉(これ)を知る。 古人云く、「外に向かって工夫を作すは総べて痴頑の漢なり」と 師は皆に説いて言った。 「仏法には造作の加えようは無い。只平常のままでありさえすれば良いのだ。糞を垂れたり小便をしたり、着物を着たり、飯を食ったり、疲れたならば横になるだけだ。愚人は笑うであろうが、智者ならそれが分る。 古人も「自分の外に造作を施すのは、皆愚か者である」と言っている。 造作とは、「道を修めようとする作為、あるいは道に向かおうとする、目的意識、それらの一切の事。」を言うそうで、仏法とは修行の様な事は必要が無く、平常のままで良い。大小便をしたり、着物を着たり、飯を食ったり、疲れたなら横になるだけだ。と言うのです。 愚人ならずとも、皆様笑ってしまうのではありませんか。 現在社会は文明が高度に発達し、何事も機械が人間の代りに働いてくれます。最近ではAI・人工知能も発達し、近い将来は様々な仕事が人工知能に取って変わられるのでしょう。この問題を考えるとは、人間とは何かを考える事にもなるのです。私は「臨済録」の言葉を思い起こしました。 大小便をする、服を着る、ご飯を食べる、疲れたら眠る、これは決して機械や人工知能に代わってはもらえない事です。どんなに人工知能が発達しようとも決して代わってもらえない、人間の人間たる尊厳と言うのは、この臨済禅師の言われた、「屙屎送尿、著衣喫飯、困れ来れば即ち臥す。」 と言う事になるのではないかと思い当たったのでした。 当たり前と思っている事にこそ、実はそこに尊厳があるのだと気がついたのでした。 病気になったり、老いれば、自分で大小便が出来なくなり、ご飯を食べられなくなり、夜も眠れない事になりかねません。そうなってから自分で大小便が出来るとは何と有難い事であったかと気がつくのでしょう。出来なくなってから気がつくのでは無く、出来るうちに気がつくことです。 そうして臨済禅師の言う様に「屙屎送尿、著衣喫飯、困れ来れば即ち臥す。」で、人間は充分なので、それ以外の事は単なる飾りに過ぎないのだと気がついたならば、人間お互いに争ったりする事は無くなると思います。 |
以上が横田管長のお話です。 一休さんは、ひねくれて嫌味な歌を詠んだのでは無かったのです。 「世の中は食うて箱して寝て起きて、さてその後は死ぬるばかりよ」この歌の背景には臨済禅師の深い宗教思想が含まれていたのです。 私も「屙屎送尿、著衣喫飯、困れ来れば即ち臥す。」の生活を実践し毎日お気楽に過ごしておりますが、螺旋階段の最上段と最下段の違いの様に、同じ事をしても、臨済禅師・一休禅師や横田南嶺管長は遥かな高みにおられ、私如きは悟りの境地には程遠いのでしょう。 ![]() ![]() ![]() 臨済禅師 単にお気楽に生きているだけの爺ですから「鵜の真似をする烏水に溺れる」の例えの様に、何の役にも立たず溺れ死ぬだけでしょうね?。 同じ溺れるなら、愛欲の淵で溺れたいものですが、情けない事にスケベな妄想の淵で溺れています。 |
禅問答で「雲門餬餅(こへい?)」「雲門乾屎橛(かんしけつ)」との教えもありました。餬餅とは餅の様な日常食の事で、乾屎橛とは乾いた糞の事だそうです。 仏道修行のあり方を問われた雲門は、毎日の食事の様に人間には欠かせないものだと答え、日常のありのままの姿こそが仏業だとの意味で餬餅と言ったのです。又、仏とはとの問に乾いたウンコだと答えたそうです。 仏様をウンコだなどと!!。 仏道修行が食事と同じなら、食べた後の結果はウンコですから仏様と同じだとは、言い得て妙なる?例えです。 (乾屎橛を糞ベラ、トイレットペーパーの代りに使用した棒、との解釈もあるそうです。) 「うんこ」が仏様なら「おなら」も仏様なのでしょう。 「この身より出でしものなら我が子同然 ブッと言う字は仏のごとし」・・・・詠み人知らず |
余談 一休禅師は晩年応仁の乱で消失した大徳寺の住持となり再建に貢献されましたが、大徳寺を開山(鎌倉時代1315年)した大燈国師には、考えられない恐ろしい話が伝わっています。 修行時代、妻子への恩愛の情を断たんが為妻に酒を買いに行かせ、その留守中に二歳の我が子を殺し串焼きにして食べてしまったのです。 実に恐ろしい男です。鬼子母神でさえ、他人の子供を食べても我が子は可愛かったのですから。 又、浄土真宗なら妻帯は許されていますが、他宗では許されず酒まで飲むとんでも無い破戒坊主の殺人鬼だったのです。禅宗の山門には「不許葷酒入山門」との看板を掲げているではありませんか。 (大燈国師は葷酒山門に入らずば許さず、と読んだのでしょう。葷とは葱や韮・大蒜の様に匂いの強い野菜だそうです。) 大燈国師は播磨の国浦上庄の出身と言われますので、兵庫県たつの市周辺と思われます。1283年生まれと言われますので大徳寺を開山した時は32歳で、若くして朝廷を始め多くの人々の支持を得る事が出来たのは、僧侶として卓越した能力をお持ちだったのかも知れませんが、私は我欲が強くて優しさの欠けらも無く、自分だけの栄達を願う実に嫌な坊主だったのだろうと思います。 お釈迦様は妻と生まれたばかりの我が子を捨て、西行も泣いてすがりつく娘を蹴とばして出家されました。出家が如何に尊い事であろうとも、幼い子を捨てるとは、お二方共に酷い男だと思いますが殺して食べるような非道な事はしていません。 (お釈迦様は王様の子供ですから捨てられた妻子は生計に困る事はありません。 西行も紀の川周辺に大きな荘園を持っており、別れた妻子の面倒は見ていたそうです。 貧乏人の私から見れば、お二人の出家とは金持ちの道楽の様に思えます。 妻子への執着を捨てる事が出来ず、言葉を変えれば貧乏故に無責任に妻子を捨てる事が出来ず、半世紀以上苦行を続けている私の方が、聖人の境地に近いのではないでしょうか。 それとも聖人になれず、性人になってしまったのかも知れませんが、それも又楽しい事です。 姫路の書写山の性空上人は室津(兵庫県たつの市)の遊女と会い、遊女は普賢菩薩なったとの話があります。上人の巧な性技で遊女は「イクイク・シヌシヌ」と極楽往生されたのでしょう。 私も神戸福原のソープでお姉さんに「シヌシヌ」と言わせたいものですが、・・・・ プロの女性は演技はしても、私如きの技で昇天するとは思えませんが?。) 一休禅師は晩年浄土真宗の蓮如上人と親しかったそうで、親鸞聖人の法要に出席し「襟巻のあたたかそうな黒坊主 こやつが法は天下一なり」との歌を残しています。黒坊主とは親鸞聖人の事で浄土真宗は天下一の教えだと讃えておられるのです。 禅宗と真宗では教義が全く異なるにも拘らず、他宗派の法要に招かれその教えを素晴らしいと称えるとは、一休禅師はスケベな破戒坊主に見えますが、実際は器の大きな和尚様だったのでしょう。 蓮如上人は人並み外れた女好きで(セックス好き)5人の妻と27人の子供がおられたそうす。 4人の奥様は皆様多くの子供を産み若死にされていますので、蓮如様とは小林一茶と同じ様な強烈なスケベ男で、奥様は休む間も無い過淫が原因で過労死をされたのでしょう。 板ねぶとおぼしき人の青女房・・・・江戸破礼句 「板ねぶ」とは風呂椅子に座ると、へのこの先が床板を舐める程大きい事で、大きすぎると女房は身体を壊し青い顔の病人になる。との川柳です。 第5婦人は蓮如70才を過ぎて20才の娘と結婚し、84才で死ぬ迄に6人子供を産ませていますが、(末子は83才の時の子供です。10年程で6人もの出産とは、蓮如は70才になっても毎日の様にSEXを行っていたのでしょう。)幸い奥様34才の時蓮如は亡くなりましたので過労死を免れ53才迄長生きされたそうです。 一休と蓮如はスケベ爺同志で気が合ったのかも知れません。 私もバイアグラの助けが必要とは云え、蓮如に劣らぬ体力はありますが、哀しいかな鬼婆様が元気で、若い奥様を迎える事が出来ません。 |
追記ウクライナ ウクライナの状況が気がかりです。早くロシアが撤退する事を願いますが、大方の予想では半年一年と長引く予想が多いようで、未だ未だ多くの市民や兵員が死亡する事態が続くのでしょう。痛ましい限りです。 この様な事態を受けフィンランドとスエーデンがNATO加盟を申請するようです。フィンランドのサンナ・マリン首相は36才の女性。スエーデンのマグダ・レナ首相も55才の女性です。男より女性の指導者の方が果敢な政策変更が出来るのでしようか。日本でも昨年の自民党の総裁選挙で高市早苗氏が健闘されましたが、惜敗された事が残念です。 ウクライナは核を放棄し中立政策を取っていたにも拘らず、8年前クリミヤ半島を奪われ今回も残忍な侵略を受けているのです。 中立政策を取っていたフィンランドやスエーデンも今回のロシアの侵略を見て中立を放棄しNATO加盟を求めているのです。 戦争反対・護憲平和・自衛隊違憲・中立・等を御題目の如く唱え、それだけで平和が維持出来るが如く主張されておられた方々は、今回のウクライナの惨事とフィンランドとスエーデンの中立政策放棄をどの様に受け止めておられるのでしょうか。 共産党の志位氏はロシアのウクライナ進攻後「いざと言う時は自衛隊を活用する。」と言いましたが、その前に「自衛隊は違憲」と書いている共産党綱領を変更する方が先でしょう。(昭和22年憲法制定時、憲法に反対したのは共産党なのに、いつの間にやら強烈な護憲派になってしまいました。) 第一次第二次と二度も行われたチェチェンの独立運動も忘れられません。チェチェンはロシアの軍事力に屈し今だに独立を果たせません。 ロシア周辺の国家・民族にはお気の毒な国々が多数おられるのです。 中国のチベットやウィグル問題も又香港問題も同様です。台湾がチェチェンやウクライナの様に武力制圧をされない様、願うばかりです。 北朝鮮は国連でロシア非難決議に反対した見返りにロシアから核兵器の小型化の技術を導入するそうです。ミサイルに核兵器を乗せる事が出来る様になるのです。これを脅威と感じない方の神経が分りません。 私はカビの生えた憲法は一日も早く改正し、非核三原則を廃棄し安倍元総理の提案された、NATO諸国と同じ様に米軍の核を日米で共同保有しなければならないと考えています。 プーチンは「ウクライナで核の使用も辞さない」などと言っているそうです。 金正恩や習近平はプーチン程には愚かでは無いと信じて、反戦平和の御題目を唱える事に日本人の生命と資産を賭けるのは、余りにも愚かすぎます。 左翼の平和主義・護憲主義の方々は、平安時代のお公家様の「武力は死穢の穢れ」と考え武力を軽視し、神仏に祈れば平和になると信じていたのと変わらず、憲法擁護を御題目の如く唱えれば平和が保てると考えているのでしょう。 (ロシアは今回の戦争で国力を大幅に消耗し、当分の間は日本への脅威は少なくなるのでしょうが。) 呆け爺がこんな事を言った所で、犬の遠吠え程の効果も無く、詮無い話とは思うのですが・・・・・。 2,000年の昔、カエサルは(Caesar英語読みではシーザー)は「人は自分の見たいものしか見ない」と、言っておられます。 (人間なら誰でも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人達は見たいと欲する現実しか見ていない。)・・・・塩野七生、「ローマ人の物語」より 人の心は昔も今も変わらず、私も見たいものしか見ず、平和呆けした方々も見たいものしか見ないのでしょう。 |