これ以上虐めないで          令和4年5月

昨年10月、又々煙草が値上されました。
私はニコチンやタールをフィルターで濾過した煙草は嫌いで、昔からフィルターの無いショートピースを吸っています。
以前は沢山のフィルター無しの煙草が売られていましたが、今ではショートピースだけになってしまいました。
そんなショートピース(10本入り)が、とうとう300円にもなってしまいました。
僅か7㎝の煙草一本が30円もするのです。
煙草一本がモヤシやカイワレと同値とは、あまりにも高すぎるのではありませんか?。
(それともモヤシやカイワレが安すぎるのでしょうか?。)

煙草を吸われない皆様方は、いったいどこ迄私達喫煙者を虐めれば、気がすむのでしょう。喫煙場所は大幅に制限され、公共施設だけでは無く道路や喫茶店・レストラン等の民間施設も殆どが禁煙で私達には煙草を吸う場所もありません。その上今度は兵糧責めで煙草の値段は大幅に値上されました。大手搦め手から責め立て私達喫煙者を絶滅させよう、というのでしょうか?。
(プーチンのウクライナでの殺戮と変わらないではありませんか。)
私は50有余年、家内のお尻に敷かれ続けマゾ嗜好があるとは云え、煙草でこれ程迄に虐められる事には、耐えがたいものがあります。

どなた様か
「煙草値上反対及び公共施設内に喫煙ルーム設置推進の為の政党」を立ち上げて頂けないでしょうか。
私は必ず一票を投じます。私が立候補すれば良いのですが悔しい事に僅かな年金の遣り繰り生活では、供託金を捻出出来ないのです。

(私は共産党や旧社会党を含め立憲民主党に投票した事はありませんが、共産党もやっと自衛隊を容認しましたので、自衛隊合憲説迄進んで頂き、煙草値上反対を公約に掲げて頂ければ私も共産党に投票するかも知れません。煙草値上反対と憲法9条改正なら間違いなく投票します。
少なくなったとは言え成人の喫煙比率は未だ17%もあるのです。党勢を大幅に伸ばす事が出来るかも知れません。
尤も何時まで経っても17%未満の少数政党に留まるのでしょうが、どうせ長年少数政党から脱却出来ない政党ですから、17%の可能性に挑戦されては如何でしょう。)


私達喫煙者が如何に虐められているのか、図表で示せばご理解頂けるかと、下記に今までのショートピースの価格の推移表を転記しました。
20本入りピースは倍額になります。)
2021年の価格は280円になっていますが、10月に更に値上され300円になっています。ピースだけでは無く全ての煙草は値上されていますので、20本入りの煙草はほとんどが600円になっているのです。
安い煙草の代表選手だったゴールデンバットや若葉・エコーですら500円もするのです
(20本入り)。驚きを通り過ぎ呆れて言葉も出ません。
将来は煙草1,000円説まで囁かれていますが、何をか言わん!!。
煙草を吸わない方々は現在社会の強いストレスに耐えられず、心が歪み、喫煙者を虐めて喜ぶ鬼畜生になってしまったのでしょうか?。
ヒットラーもプーチンも煙草を吸わないから、あれほど冷酷無慈悲な性格になったのです。
もしもプーチンが煙草を吸う様になれば、人の心を取り戻しウクライナの戦争は立ち所に終結するでしょう。

これ以上禁煙者が増え、鬼畜生に取り囲まれた世界なら、死んで地獄に逝く事を怖れる事はありません。

  
私が二十歳で煙草を吸い始めた時はピース一箱(10本入り)40円でした。
その後緩やかに値上がりを続け、13年前の2009年
(平成21年)には150円でした。この程度の値上がりは他の物価の上昇もあり、容認出来る範疇ですが、2010年(平成22年)一気に220円まで、懲罰的とも言える70円もの値上をされ、その後も懲罰・虐めは続きとうとう300円にもなったのです。
2010年以降の値上がりが如何に急激で過酷なものか、上記の表で一目瞭然でしょう。
私は年金生活者で、年金が増える事はありません。にも拘らず煙草は13年の間に2倍にも値上がりしてしまったのです。
(WHOのブルントラント事務局長が「煙草は人殺しだ」と言い始めたのが強烈な禁煙運動の始まりですので、私は彼女とWHOが大嫌いです。)

喫煙とは個人の趣味嗜好の問題で、他人が口出しする事では無く、ましてや行政が罰則的な税制で個人の嗜好を特定の方向に誘導すべきではありません。又自分の考える正義を他者に強要すべきでもありません。
そんな事をするのはヒットラーやプーチン・習近平・金正恩等、独善的な考えを持つ独裁政権位です。
サッカーに重税をかけラグビーは無税とか、映画には重税をかけ音楽コンサートは無税などと、個人の趣味を特定の方向に誘導する様な税制を行ってはなりません。
又、煙草に限らず、お酒を飲むのも、甘い物・辛い物・肉・魚・果物を食べるのも・・・・・etc、全て個人の自由です。
酒を飲むとアル中になり肝臓病の原因に、甘い物を食べれば糖尿に・辛い塩気の多い物は腎臓病・肉は大腸癌に、焦げた魚は胃癌に、炭水化物の取りすぎは肥満にと、・・・・その様な食品は病気の原因だからと高率の税金をかけ、国民の健康の為に食べ過ぎない様になどと、そんな事は余計なお世話で行政が介入すべき事ではありません。
食べて病気になろうが食べずに栄養失調になろうが、個人の選択の問題で、税制で誘導すべき事ではありません。
煙草課税の問題も全く同じで、行政が関与すべき事ではありません。
煙草を吸って肺癌や肺気腫になり死のうが、吸わずにストレスに耐えられず自殺しようが、個人の選択の問題です。

コロナワクチン接種会場に乱入し接種の妨害をしたとして、逮捕された方がおられましたが、彼等は自分だけがワクチン接種を拒否すれば良いので、自分の考える正義を他人に強要してはなりません。
私は三度のワクチン接種を済ませましたが、ワクチン接種をしたく無い人に接種を強要したり差別的な行動を取る事はありません。
煙草が嫌いで煙草値上に疑問も抱かない貴方達は、逮捕されたワクチン接種反対者の姿と重なって見えます。
貴方達の考える正義を私達に強要しているのだけではありませんか。

煙草税の増税とは、WHOの禁煙主張に安易に乗っかり、温和しい私達喫煙者から、税金をふんだくっているだけではありませんか。取りやすい所から税金を徴収しようとの、政府のさもしい根性が丸見えです。
多数の非喫煙者が少数の喫煙者を虐める集団パワハラです。
煙草税制に疑問を抱こうともしない、
非喫煙者の貴兄貴姉も「さもしい輩」でパワハラ加害者と言わずにはおれません。
(さもしい、とは托鉢僧を意味する沙門のみすぼらしい姿から、(さもんしい)→(さもしい)、になったとの説。又、様憂し(さまうし)、様悪し(さまあし)から変化したとの説もあるそうです。)

   
上図はJTの発表した煙草税の内訳です、メビウス(20本)等580円の煙草が基準です。580円の販売価格の内税金が357,6円で煙草正味の価格は222,4円なのです。販売価格の61,7%が税金なのです。
正味価格222円の煙草に1,6倍の358円もの税金がかかっているのです。
これは国税では無く酷税と言うべきです。
時代劇の水戸黄門に出てくる悪徳代官でも、これ程非道な高率税はかけなかったのでは無いでしょうか。

余りにも煙草が高価なので、私は一本の煙草を三度に分けて吸っており、情けなく哀れな話ではありませんか。 (平成31年3月ケチでセコイ話参照)
   
あはれ
   
秋風よ 
   情
(こころ)あらば伝へてよ
   ・・・・男ありて
   今日もベランダでひとり
   シケモクをすひて
   思ひにふける と。
・・・色呆け爺。佐藤春夫の「秋刀魚の歌」盗作
  

曙覧や放哉・山頭火、昔の人は安い煙草を楽しめ羨ましいかぎりです。


  
たのしみは心にうかぶはかなごと
    
思ひつゞけて煙艸(たばこ)すふとき・・・・・橘曙覧

  たのしみは心にうかぶお姉さん
    
思ひつゞけて煙艸(たばこ)すふとき・・・・・色呆け爺

  
酒もうる煙草もうる店となじみになった・・・・・尾崎放哉

  御飯があつて本があつてそして煙草もあつて
・・種田山頭火

  酒があって煙草があってそして女もいればなあ・・・色呆け爺

  しけもくを拾い集めて紫煙
(私怨)かな・・・・・色呆け爺

英国の作家アラン・シリトーは
「インテリは禁煙するがジェントルマンは吸い続ける」と、パイプ煙草を吸い続けたそうです。
2010年82歳で亡くなられ、死因は存じませんが複数の癌を病んでいたそうですから喫煙が原因だったのかも知れません。
しかし煙草を楽しみ82歳迄生きればシリトーは本望だったでしょう。
私はジェントルマンではありませんが誇り高き日本男児です。
愛国心は人一倍持っているつもりですが、国家が個人の趣味嗜好を特定の方向に誘導する事には断固反対ですから、煙草を吸い続けます。
喜寿と言われる歳まで生きたのです。これ以上長生きしたいなどと、欲どおしい事は望みません。
77歳男の平均余命は10年弱で後何程も残っていません。地獄の私の命のロウソクは残り僅かで今にも消えなむとしているのでしょう。
肺癌や肺気腫で死んだ所で、死期が少し早くなるだけの事で恐れる事はありません。
 
アラン・シントリーの小説「長距離走者の孤独」を読んだ事があります。
主人公の少年スミスは窃盗を働き更生施設に入れられます。
長距離走の素質があり、施設の代表としてマラソン大会に出場しますが、施設の院長の言いなりになる事を拒否し、ダントツの一位で会場に戻りながらゴール直前で立ち止まり、ゴールインしなかったのです。
彼は自分の為に走ったのであり施設や院長の名誉の為に走ったのでは無かったのです。スミスの偏屈魂、見上げたもので尊敬いたします。
こんな小説を書くとは、作者のアラン・シリトーも余程偏屈で頑固な上、自己主張の強い男だったのでしょう。
私は自分の性格を穏やかで実直・柔軟な爺だと自負していましたが、
(逆に考えれば消極的で覇気が無く、優柔不断な爺となりますが)
煙草を止めようとしないのは、アラン・シリトーの様な偏屈で頑固な爺になってしまったのでしょうか?。
 
        
私は左のスケベでお気楽な爺のつもりでしたが、いつの間にやら真ん中の怒りっぽい爺や右の頑固な爺になってしまったのでしょうか?。
 
追記
小学校以来の友人で、短歌を趣味としておられる方がおられ、新聞社やNHKの歌壇で3年連読60首以上の入選を果たしておられます。
今回、又もNHK歌壇に入選され5月1日早朝放映されるそうで、私は早起きをして見せて頂こうと楽しみにしています。  
年間60首と言えば毎週どこかの歌壇で入選されておられる訳で、 「歌の世界」で彼は遥かな高みを飛翔されておられるのでしょう。
 
世に荘厳(けだかけ)き遊ぶ文章(たまつき) ・・・・・とは、彼の様な人を言うのでしょう。(先月の梅と桜・・円空上人参照)
彼の文才(歌才)を賞賛すると同時に心豊かな老後を過ごされている事を羨ましく思っています。
翻って我が身を考えますと、創作力に欠ける為、本歌取りを気取って他人様の歌の盗作まがいの事をしているだけですから恥ずかしい限りです。
しかし
「病は直るが癖は直らぬ」と申します。80年近く自堕落でエエカゲンな生き方を続けて来ましたので、今更生き方を変えようなどと、そんなシンドイ事に挑戦する気持ちは毛頭ありません。
「残生白髪猶淫色」(一休)スケベ爺は、酒を飲み煙草を咥えてエエカゲンな爺のままで、斃(くた)ばれば本望です。