神戸にも六道の辻が 令和4年6月 |
愛宕(おたぎ)の寺も打ち過ぎぬ 六道の辻とかや 実(げ)に恐ろしやこの道は 冥途に通ふなるものを 心ぼそ鳥辺山 煙の末もうす霞む 声も旅雁の横たわる 謡曲、熊野(ゆや)・・・平宗盛と愛妾熊野の物語の一節です。 |
![]() ![]() 冥界入口の井戸 六道珍皇寺 |
六道の辻と言えば京都東山・建仁寺横の六道珍皇寺を思い出します。 古くは愛宕寺(おたぎでら)とも言われ、平清盛を荼毘に付したお寺と言われています。 小野篁(おののたかむら・平安初期、平清盛より300年昔です。)が、本堂の裏庭の井戸から夜毎冥府通いをした寺として知られています。閻魔大王に次ぐ第二の冥官と言われましたので、小野篁に嫌われたお公家さんには死後地獄に落とされた方も多かったのでしょう。 冥界からの戻りは嵯峨野(化野)の福正寺の井戸から戻ったと言われますが、明治の頃福正寺は廃寺となり、廃寺跡に井戸もあったそうですが、埋められて今では跡形も無いそうです。 福正寺から珍皇寺まで直線距離にして10㎞位はありますが、夜毎往復したとは、小野篁は余程の健脚の持ち主だったのでしょう。 或は冥界への往復が出来る程の霊力をお持ちですから、信貴山の僧命蓮(信貴山絵巻)や久米の仙人の様に空中遊泳の霊力や神通力を持っていたのかも知れません。 又、小野篁は六歌仙と言われ美人の誉高い小野小町の祖父との説もあるそうです。 六道の辻とは、この世とあの世の境界の事を言い、輪廻転生・因果応報、前世の行いにより、来世への道が、天道・人間道・阿修羅道・畜生道・地獄道へと別れる所です。上方落語に「地獄八景亡者の戯」と言う六道の辻の面白い噺があります。 昔の京の墓場は西の化野(あだしの)東の鳥辺野(とりべの)と言われ、清水寺周辺の東山一帯は墓場でした。墓場とは云え庶民には埋葬の費用も無く野ざらしの遺体が転がっていたそうです。そんな風葬の様な墓場の入口近くに六道珍皇寺(愛宕寺)があるのです。化野も化野念仏寺に西院の河原と言われる夥しい無縁仏が祀られ、昔の墓場の様子が偲ばれます。 冥界への入口(鳥辺野)も出口(化野)も墓場の近くだったのです。 ![]() ![]() 西院の河原 化野念仏寺本堂 平安・鎌倉の時代は、京都東山とはそんな気味の悪い所だったのです。 数年前、松竹座での雀右衛門襲名披露公演で仁左衛門と雀右衛門の「鳥辺山心中」を観せて頂きました。雀右衛門演じる遊女お染の色気の中にも幼さが残る可愛らしい姿が忘れられません。 江戸時代の話ですので、江戸時代でも京都東山界隈は寂しい墓場だったので心中場所になったのでしょう。 (新古今集の編者藤原定家の日記には飢饉の折の死者の死臭が臭いとの記述があるそうです。昔はお公家さんの家迄死臭が漂う様な、酷い飢饉があったのでしょう。) 神戸市兵庫区上祇園町にも六道の辻がありました。JR神戸駅から有馬街道筋を北へ2㎞弱上った所です。 近くには祇園神社や雪見御所跡、安徳天皇の仮御所となった荒田神社、天皇温泉(清盛の時代から続く温泉ですが、源泉が枯れ10年前に廃業)等が残されていますので、私はてっきり清盛が福原遷都の時に、京都の珍皇寺(愛宕寺)を勧請し六道の辻が残っているのだと思っていました。 喜寿を過ぎ傘寿が迫り、その上二度も癌を病んだ私はそろそろ冥途行きの用意もしておかねばなりません。私如きエエカゲンな爺は、六道で迷う事無く地獄行は決まっていますが、あわよくば天道への可能性も無きにしも非ずと、六道を確認したくて神戸の六道の辻に行ってまいりました。 何のことはありません。単に六本の道が交差しているだけの事でした。 この六差路は明治の頃に出来たそうで、清盛はおろか珍皇寺とは何の関係も無いそうです。 その様な訳で、私の進むべき道は天道なのか地獄道なのか、確認出来ませんでした。「地獄は一定すみかどかし」。(歎異抄) |
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コロナ騒ぎと呆け爺の屁理屈 |
全国のコロナ感染者数は余り減少していないにも拘らず、マスク規制が緩和され、外国人観光客の受け入れも再開されるそうで、やっとコロナ騒ぎにも終着点が見えてきた様でありがたい事でございます。 しかし今でも(5月26日)新規感染者3万人を超え死亡者も連日40~50人もおられます。過去の1波から5波迄の感染者グラフと比べ今回の6波の感染者は群を抜いて多く、2月の一日10万人の感染者と比べ現在は3万人と減ったとは云え、過去5波迄の一日の感染者数よりも遥かに多いのです。 政府発表やマスコミの発表が無いので真偽の程は分りませんが、ワクチンを3回接種した方でもコロナに感染した方が多いとの話も聞いた事があります。 これだけ多くの新規感染者発生が続いているにも拘らず規制緩和に進むとは、今までの大騒ぎはなんだったのでしょうか?。 昨年10月菅内閣が退陣しましたが、その時菅内閣のコロナ対応策が拙いと大きな非難を浴びました。菅内閣時の5波の状況と岸田内閣時の6波の状況、下記のグラフを見て頂ければ6波が遥かに多数の患者と死亡者が発生していますが、岸田内閣を批判する話は聞く事がありません。 これも不思議です。私はコロナ対策だけでは無く外交政策も含め、菅内閣の方が良かったと思っています。 かねてから、私が申し上げていた様に、「コロナなど怖れる事は無い、単なる風邪にしか過ぎないのだ。」と政府もやっと気がついたのでしょうか?。 死亡者の累計は5月26日現在で27,511人で、今でも毎日40人前後の死亡者がおられるそうですが、コロナが日本に侵入して2年半で3万人弱の死亡者なら、例年のインフルエンザの流行と変わらないではありませんか。亡くなられた方にはお気の毒ですが、大半が高齢者と他の病を持ち免疫力の衰えた方々です。年寄りは近々の内に必ず死ぬのです、コロナで死期が少しばかり早くなっても、大騒ぎする様な事ではありません。 毎年インフルエンザの死亡者は1万人もおられますが、コロナの流行でウィルス干渉が起こり、ここ2~3年はロナ以外のウィルスの発生が抑えられ、インフルエンザや他の風邪の発生が抑えられています。例年のインフルエンザや風邪の代りにコロナが流行していると考えれば、なんと言う事もありません。昨年の死亡者は1,452,289人ですが内コロナによる死亡者は14,934人で、死亡者の僅か1%にしか過ぎないのです。 30年以上昔ですが、私の両親も癌を病み放射線治療や投薬治療を行っていましたが、免疫力が低下していたのでしょう、些細な風邪が原因で肺炎を起こしあっけなく亡くなってしまいました。今なら癌死亡者とはならずコロナ感染死亡者となるのでしょう。 重ねて申し上げます。「コロナなど怖れる事は無い、単なる風邪にしか過ぎないのだ。」早急にコロナを2類相当感染症から5類のインフルエンザと同等に引き下げ、私達も普通の生活に戻るべきです。 |
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