宿直の仕事を辞めました。      令和5年11月
介護施設の宿直の仕事は、平成30年の暮れから勤め始めましたので丁度5年になりました。
宿直とは言え稀に入居者を病院に搬送する事があります。
運転に自信はありますが、80歳以上の高齢者が病人の搬送をするのは少々憚れますので、80歳になれば退職しようと考えてはいましたが、1年早く退職する事になりました。
私が直接介護の仕事に携わった訳ではありませんが、巡回の途中職員の方々が親切・丁寧に入居者の介護をされておられる姿を見る度、頭の下がる思いでした。今までの私の仕事は証券会社の営業の仕事や有料道路の料金収受の仕事で、意味が無いとは思いませんがお金を儲ける事が第一で社会的責任は二の次になりがちで、奉仕の精神を前面に打ち出している介護の仕事に、世の中にはこんなにも素晴らしい仕事があったのか!!と、目から鱗が落ちる思いでした。人生最後の局面でこの様な仕事のお手伝いが出来た事は嬉しく、又誇りにも思います。

折角女性の多い
(後家さんも大勢)職場に勤め乍ら、お金が無い所為か、顔が悪い所為か、それとも性格が悪いのでしょうか?。
女房の尻に敷かれた情けない爺を相手にして頂けるお姉さんは只の一人もおられず、浮いた話の一つも作れなかった事が悔やまれます。
「マメで無いと女にモテない」と聞いた事がありますが、マメとは漢字で豆では無く忠実
(マメ)と書くそうです。何事にも中途半端でエエカゲンンな私は、施設のお姉様方の女心をくすぐる忠実(マメ)さが足らなかったのでしょう。
又、爺はお金が無いと女にモテないとも聞いた事もあり、家内の厳しい行動管理の為、出かける時のお伴には野口英世氏一人しか付けて頂けず、
金も無くマメでも無く、これでは女性にモテる訳がありません。
9月に江戸破礼句(ばれく)の、「あれとかとあきれるやつと後家は出来」を紹介させて頂きましたが、私は呆れる奴以下の呆れはてた爺だったのです。

   
提灯を下げて宝の山を下り(江戸破礼句・・・バレク)
(縮んで小さくなり役立たずのチンチンを、提灯をたたんだ状態に例えています。宝の山は言わずもがな、女
島の事です。江戸の昔にも私の様な情けない爺がおられたのです。
とは言え、提灯マラも捨てた物では無く、江戸時代には麩(ふ)マラを最上とした説もあったそうです。
麩は水を吸うと大きくなりますので、「麩のごとく柔らかにて玉門広き狭きを選ばず、開中(膣の中)にて太くなり、締りよきゆえ風味いたってよき」と言われたそうです。麩マラも提灯マラも似た様な物でしょう。
私の提灯も一度ご賞味頂ければ風味いたって良きをご堪能頂けたものをと、残念至極でございます。

一般的には一黒・二雁高・三反・四鉄砲・五麩・六白・七錐・八長・九太・十小・と言われました。
使い込んで逞しく黒光りしているマラが最高で、雁高・反り返ったマラと続き、麩は五位で、長い・太いは下位に低迷し女性には好まれなかったのです。美味しい物でも口一杯に頬張っては食べにくく、お口に合う程度の大きさで良いのです、大きすぎると美味しさも半減するのでしょう。
板ねぶとおぼしき人の青女房妾の青いは長井馬之守との破礼句があり、板ネブとは巨根の事で大きすぎるマラでは女性は疲れ果て、青い顔の病人の様になってしまうのでしょう。

      

私の様に特技も無く口先だけの爺には、宿直の仕事は丁度良い仕事だったのですが、膝が悪くなり階段を登り下りするのが苦しくなってきたのです。
15年程前、六甲山縦走した時の膝サポーターが残っており、
(アウトドア専門店好日山荘で買ったもので当時両足分で1万円以上したサポーターです。)それを使ったりテーピングをしたりと、頑張ってみたのですが、思わしくありません。

施設の建物は4階建てで、エレベーターはありますが、巡回にエレベーターを使っては巡回の意味がありません。夜間に2回早朝に1回と、3回も膝をかばいながらゆっくりと巡回しておりました。

(痛風も発症しましたが、これは薬で簡単に治まりました。)


   
あしびきの山かと思う階段の
      
長々し路をひとりめぐりて・・・・・・・・色呆け爺
元歌
   
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
      
長々し夜をひとりかも寝む・・・・・柿本人麻呂
「あしびき」とは足を引きずるとの意味で山にかかる枕詞です。人麻呂は女にフラレ、長い夜を一人寂しく過ごしたのですが、どうせ明日は別の女に声をかけるのですから、嘆く程の事ではありません。
三十六歌仙の一人で歌聖と言われ、明石を詠った歌も残されていて兵庫県明石市に柿本神社、明石城内に人麻呂塚があります。梅原武氏は「水底の歌」で人麻呂は政争に巻き込まれ石見の国で(島根県)刑死したと言っていますが、反論も多く真相はどうなのでしょうか?。
        
サアー これで臨時収入の道が途絶えました。これからは年金と僅かばかりの蓄えだけで生きて行かねばなりません。悠々自適ならず汲々自適の生活を送り、蓄えを使い果たす前に家内は極楽へ私は地獄へと旅立つことを願うばかりです。

  
貧しさは水を飲んだり花を眺めたり・・・・山頭火
  
御飯があつて本があつてそして煙草もあつて・・・・山頭火
  晩の極楽飯 朝の地獄飯食べて立つ・・・・山頭火
山頭火の様に水を飲むのは味気ないので、麦茶やほうじ茶を沸かして飲みましょう。お花は結構高いのですが、たまにはお花も買いましょう。
(私共夫婦が散歩に行く再度山公園(ふたたびさん)の無人売店で、日曜日にお花を安く売って頂けます。おそらく花卉栽培農家が出荷出来なかった規格落ちの花だと思いますが。)
これからはスーパーで賞味期限が迫った割引商品や、見切品を捜す事が多くなるのでしょう。本は終活で殆ど処分してしまいましたので、図書館で借りるばかりです。酒と煙草は止めません。以前にもお知らせさせて頂きましたが、酒は3リッター968円の安酒を一日2合、煙草は一本のショートピースを3度に分けて吸っていますので日に4~5本です。
山頭火には晩は極楽飯でも、朝は今日の行程を思えば地獄飯だったのでしょうが、私は朝も晩もお気楽飯を頂いていますので、人麻呂には遠く及びませんが山頭火に比べれば良しとしましょう。
(最近は早く酔いが回り、1合から1合5勺で止める事が多くなりました。酒が弱くなったとは皆様とお別れする日も近いのかも知れません。

5年前、阪神高速の収受員を辞めた時は、「働かざるもの吸うべからず、飲むべからず、」などと、俄かクリスチャンになったのか?それとも鬼婆になったのか?と、そんな事を言っていた婆様も今回は優しく?許して下さいました。
(働かざるもの食うべからず、はイエスの弟子パウロの言葉と言われています。)
恐らく優しさなどでは無く、足を悪くした亭主をこれ以上酷使して潰してしまっては元も子もないと、考え直して下さったのだと思います。
神戸は坂道の多い街で、拙宅は六甲山系の北側・鈴蘭台の近くで、山地を切り開いた住宅地の為坂道ばかりで、車無しでは生活出来ません。
孫に会いに行くにも日常の買い物や医者・区役所等々何処に出かけるにも車が必要です。
家内は数年前免許を返納しており、私が家内の送迎を引き受けていますので、これ以上足を悪くして車の運転が出来なくなっては困る、と思ったのでしょう。又、宿直の手当より年金の方が多いので、私が死んでしまえば年金は遺族年金となり、かなり減額されるのでそれも避けたかったのでしょう。
 
     
(私の提灯は左の提灯と同じで、バイアグラの助けを得てやっと右の提灯の様に逞しくなり、提灯の勤めを果す事が出来るのです。歳の所為とは言え薬に頼らねばならぬとは情けない限りです。)