世の中を憂しとやさしと思えども
  飛び立ちかねつ鳥にしあらねば    
令和6年3月
萬葉集・山上憶良の貧窮問答歌より、「やさし」とは辛いとの意味だそうです。

昨年はコロナに明け暮れ、ウクライナでの戦闘には解決の目途もたたず、暮れにはパレスチナで戦いが始まり、国内では自民党の裏金問題まで発覚し・・・・と、嫌な事の多い年でした。
今年こそは明るい年になって欲しいと願っていましたが、年明け早々能登半島で大地震が発生し
(神戸の拙宅でもよく揺れました)、羽田では航空機の衝突事件があり、北朝鮮のミサイル問題・中国の経済問題等々、更にコロナは10波の感染拡大、インフルエンザも感染拡大傾向にあり、前途多難の様相です。(コロナ10波の定点観測では、2月4日16,15人を頂点に2月11日には13,75人・2月18日には10,1人とやっと減少に転じました。今後の推移を見守らねばなりませんが、10波はピークを超えたのかも知れません。)

私如き呆け爺が、世間様の難事を嘆き心配したとて何の役にも立たず、
「下手の考え休むに似たり」とは思えども、心の痛む事が続きます。
(毎日が日曜日の様な私ですから、能登へボランティアに行く時間はありますが、何の技術も持たぬ老い耄れが現場へ行った所で役には立たずご迷惑をかけるばかりです。お金で支援と思えども、先立つ物がありません。)

とは言え、1300年昔の山上憶良の時代と比べよとは言わずとも、70年前の戦後の貧窮時代と比べても、私達は随分豊な時代を生きているのです。
小学生の頃、学校の図書室に「こころ」
(だと思います。)との蔵書があり、貧しい少年が卵を食べた事が無く、意地の悪い友人が卵かけご飯の卵の残りを口の回りにぬり「お前は卵を食べた事が無いだろう。」と虐められ、帰宅した少年はその悔しさを母に訴えた所、翌朝の朝食は卵かけご飯で、少年は口の回りに卵をぬりつけ登校し、意地悪な友を見返した話がありました。
私の家は農家で鶏も飼っていましたので、卵かけご飯位は頂いていましたが、兄弟が五人もいて貧しい拙宅では毎日麦飯でオヤツは蒸かしたさつま芋でした。
「貧乏人は麦を食え」この言葉通りの生活でした。

(池田勇人氏(当時大蔵大臣)は経済原則に沿った生き方をしようと言ったのですが、今も昔も言葉尻を捕まえ曲解し難癖を付ける輩は絶えない様です。昭和25年の発言です。)

私は今も麦飯とさつま芋は苦手です。

食糧難の当時、満州からの引揚者が今の白浜空港の付近で開拓団として入植し、開墾作業に当たっておられ、そこの子供達が通学に徒歩で一時間以上もかけ私共の小学校に通っておられました。私は家が近かったので昼食は自宅に帰り頂いていましたが、開拓団の子供達は当然弁当持参だと思っていたのですが、後に弁当も持てず水を飲んで飢えをごまかしていたと聞いた時には、麦飯や芋も食べられないのかと何とも言えぬ寂しい思いにかられました。
「こころ」には他の話も沢山ありましたが、卵かけごはんの話だけを覚えているのは、開拓団の友人の弁当の件と重なり、忘れられないのでしょう。
(先生に連れられ開拓団の友人宅を訪問した事があります。多分不登校児童に学校に来る様勧めにいったのだと思いますが、「子供は大事な働き手で学校には行かせられないと」、父親らしき人が言っておれれました。板壁だけの粗末な家が並んでおり、冬は寒かろうな、とお気の毒に思いました。
後に空港が出来、開拓団の方々は高い価格で土地を買い上げて頂いたそうです。)

   
南紀白浜空港、嘗てこの周辺は開拓団の入植地でした。

神武景気は昭和29年から始まり、その後の超高度成長に繋がりましたので、私が小学4年生頃までは大半の日本人は私や開拓団の様に貧しい生活だったのです。
(昭和25年から始まった朝鮮戦争も戦争特需で経済再建の足がかりとなったのでしょう。)
それから僅か70余年でこれ程豊な社会に発展できたのです。不満など言おうものなら罰が当たります。
(私が中学生の頃迄は、日本の主要な輸出品は低賃金による労働集約的な衣料品や玩具類で日本製品は「安かろう悪かろう」と言われていたのです。それが両親や私も含め、国民の一人一人が努力を積み重ねてきた結果、現代の繁栄に繋がったのです。国家の進むべき道を誤らなかった歴代政府の政策も良かったのだと思います。
戦後造船疑獄やロキード事件、リクルート事件・今回の自民党の裏金問題だけでは無く、数多くの汚職事件がありましたが、自民党の政治家はその様な汚物を巻き散らしながらも、国家の進路を間違える事は無かったのです。必要悪とまでは言いませんが、私達の社会は未だ未だこの様な汚物に耐えねばならないのでしょう。
例えるなら車社会です。騒音と排ガスを巻き散らす車ですが、車無しでは私達の社会は成り立ちません。低公害と言われる電気自動車と雖もリチュウーム電池製造過程で膨大なCO
や公害物質を排出し、電気は化石燃料や原子力で作られているのです。本当の意味での無公害自動車が完成するには未だ未だ時間が必要です。同様に理想とする民主主義の完成にも未だ未だ時間がかかるのです。「急いては事を仕損じる」というではありませんか。
孫や曾孫の時代には今よりは綺麗な政治が行なわれているでしょう。

15年前の民主党政権は汚物を嫌うあまり。無公害の車を作ろうとして、動かない車を作った様なもので、理想を追う余り現実を見ようとしない愚かな政党だから、直ぐに国民から見放されたのでしょう。

日本の総理で国政を大きく間違えたのは田中角栄と鳩山由紀夫と菅直人だと私は思っています。田中は日中国交回復を急ぐ余り尖閣列島の帰属を明確しなかった為、未だに中国の干渉を受けています。鳩山は沖縄の普天間飛行場の県外移設などと出来もしない公約を掲げた為未だに普天間基地の移設が出来ません。菅は尖閣での中国漁船の衝突事件の映像を隠し、中国漁船員を不起訴にし釈放した事は、誰が見ても当時の民主党政権の指導の元に行なわれた様に思えます。
昭和29年自由党吉田内閣の犬飼法相は指揮権を発動し造船疑獄事件の佐藤栄作幹事長の逮捕を見送りましたが、これは吉田内閣の責任の元に行なわれ、責任の所在が明確です。
これに対し尖閣での中国漁船員の釈放は菅内閣の関与を隠し、責任を那覇地検の鈴木次席検事独りに押しつける実に陰湿なやり方でした。福島原発の件でも菅内閣の不手際は明白だと思います。
日米半導体協定を結び日本の半導体産業を壊滅に追い込んだ中曽根や宮沢も、政策を間違えたと言えますが、日本の安全保障を米国に頼り過ぎ、米国と対等の交渉が出来無かった為で、未だに憲法の改正すら出来ない国民の責任でもあり、政治家だけの責任ではありません。

誰の言葉かは忘れましたが、「民主主義下では政治家が愚かだとすれば、そんな政治家を選んだ国民はもっと愚かだ。もっと愚かな人よりは愚かな人の方が未だましだ。」もっと愚かな国民がせめて愚かな国民に成長出来れば、選ばれた政治家は愚かでは無くなるのです。
私も、もっと愚かな人間だと自認していますので、政治家にはなれません。
将来民主主義よりも もっと良い政治形態が出来るのかもしれませんが、現時点では民主主義が最良の政治形態だと、私は思っています。
「牛歩千里」とも申します。歩みは遅くとも一歩一歩 歩んで行けば良いのです。)

寡而患
(すくな)きを患(うれ)えずして均(ひとし)しからざるを患(うれ)う。
孔子の言葉ですが、現在の豊かな社会では死語にしても良いのではないでしょうか。
孔子の時代は憶良の時代と同じで、食にも困る極端に貧しい時代でしたが、現在の日本では社会保障政策が行き渡り、衣食住に困窮をきたす方はおられません。ホームレスの方々の話を聞くこともありますが、極少数の例外で、自ら選択してその様な生活をされておられる方も多いのではないでしょうか?。
生活保護制度も保護を受けている間に生計を立て直し早く自立出来るようにとの政策にも拘わらず、自立しようとの努力が全く見られず生活保護に安住しておられる方々も多いと聞いた事があります。自立への努力をされない方々には、保護政策は悪政といえるでしょう。
現在社会では「均しからざるを患う」必要は更々無く、テレビやスマホが無くとも・車や豪邸が無くとも・ヴィトンやエルメスが無くとも・ミシュランガイドに掲載される様な店に行けなくとも、困る様な事は一つもありません。
私はスーパーでイチゴの見切り品を買いますが、5,000円の高級イチゴと何程の違いもありません。
追い越し禁止道路が多いので、ベンツやレクサスと雖も私のボロ車を追い越す事は出来ないのです。

人間社会の平等とは法律上の権利の平等を言っているだけで、実生活の平等を保障したものではありません。私は足が遅く音痴ですが、早く走れる様に練習を重ねるとか、上手に唄える様に歌唱教室に通うなどと、そんな努力を重ねる気持ちは毛頭ありません。鈍足・音痴で結構です。その上「歯が無い毛が無い先が無い。」が追加されましたがそれも結構。
人の能力には差異があり、運不運もあり平等ではありません。
私達は共産主義を選択せず自由経済を選択しているのです。社会への貢献度の高い人が高い報酬を得るシステムで、経済的な格差があるのは止むを得ないと言うより当然の事です。
(不正を働き不当な利得を得る人とか、障害があり困っておられる方のような例外を言っているのでは無く原則論です。)
樹木希林さんも言っておられたではありませんか。
「美しい人はより美しく、そうでない方はそれなりに」

他人の事は妬まず・羨ましがらず、自分は自分・他人は他人と、己の分に合った生き方をすれば良いのです。
「起きて半畳寝て一畳、天下とっても二合半」というではありませんか。
(歳を取れば食が細くなります。拙宅は家内との二人生活で、パンや麺類も頂きますので二合のご飯を炊けば二日は持ち、夏場は傷まぬ様冷蔵庫に入れなければなりません。)