片岡愛之助 平成25年11月 |
先月 松竹座へ十月花形歌舞伎を観に行って来ました。 演目は「夏祭浪花鑑」で、今人気絶頂の愛之助が出演し、パンフレットには「片岡愛之助 上方の型にて待望の通し上演」とありました。愛之助が主役の団七、団七と義兄弟の契りを結ぶ徳兵衛に亀鶴、団七・徳兵衛に助けてもらう道楽息子の磯之丞役は薪車です。他に・壱太郎・吉弥・翫弱等が出演されていました。 芝居はとっても面白かったのですが、江戸時代の道徳観、忠・孝・信・悌・義・・・当時はこの様な考え方が美徳だった事は理解できますが、団七・徳兵衛・夫婦のあまりにも大きな自己犠牲の払い方に可哀そうを通り過ぎ呆れてしまう程でした。 (ラブリンが愛之助の愛称だとは知らず、家内に馬鹿にされました)。 テレビドラマ半沢直樹の影響でしょうか?。今迄の歌舞伎公演と比べ若い観客が増えた様に思いました。関西での歌舞伎公演は少ないので若いファンの増える事は嬉しい事で、これをきっかけにもっともっとファンが増えてくれれば関西での歌舞伎公演も多くなり、せめて京都四条南座と道頓堀松竹座どちらかで毎月公演が出来る様になれば歌舞伎ファンとしては有り難いのですが・・・・・・ 関西経済界の凋落と共に上方歌舞伎も寂れてしまい、人気役者も藤十郎・仁左衛門・扇雀・翫雀・吉弥・我當・秀太郎位です。 上方歌舞伎と言いながら演じる場所は東京中心では歌舞伎役者も可哀そうです。 スーパースター愛之助の登場で是非上方歌舞伎の復活をはたして頂きたいと思っています。梨園以外の出身役者では玉三郎が人間国宝に認定されていますが、将来愛之助も玉三郎と並ぶ大きな役者になってもらいたいと思います・・・・・・・とは言いながら多少ジェラシーも覚えます。誰の言葉か忘れましたが「天は二物を与えず」とか、又江戸川柳に「色男金と力はなかりけり」とありますが、どちらも大嘘です。 歌舞伎役者は女にもて過ぎです。愛之助だけでは有りません。猿翁・染五朗・海老蔵・獅童・福助・七之助・松也・・・・・等々(故人迄俎上に乗せるつもりは有りませんが)皆様艶めいたお話には事欠きません。羨ましい限りです。金もあり力も有りその上、女にもてる、世の中不公平過ぎると思いませんか?、少し位私にもおこぼれがあっても許されるのではないでしょうか? 奥様は私の稼ぎが少ないからおこぼれも無いのだとおっしゃいますが、 ・・・・稼ぎが有れば遊びも許すとの意味かも知れませんが、わたしゃもうこれ以上稼げません、金を稼げぬ男には人を愛する資格は無いのでしょか?。 秋葉原ではJKお散歩??が有り、女子高生とのお散歩代が1時間8000円とか・・わたしゃ散歩代に8000円も出せません、精々800円ですね!!こんな貧乏たらしい事を言うからもてないのでしょうか? 今年2月にも愛之助の創作歌舞伎「GOEMON」を観て来ました。古典歌舞伎に『楼門五三桐』(さんもんごさんのきり)が有り南禅寺山門の上での五右衛門の「絶景かな、絶景かな」との名台詞の場面は皆様ご承知の事と思いますが、新しい事に挑戦する創作歌舞伎も又、素晴らしい歌舞伎でした。フラメンコを踊り、舞台狭しと観客席の一階二階を駆け巡っての顧客サービス、愛之助が私の側を走り抜けた時私は思わず「松嶋屋」と掛け声をかけてしまいました。有難う、これからも頑張れよとの意味を込めて。 今迄私はかけ声をかけるなど、何となく気恥しく又素人の私の声で舞台の雰囲気を壊してはいけないと声を出したくとも辛抱していたのですが、此の時ばかりは何にも考えず自然に「松嶋屋」の声が出たのです。しかしその後しばらくの間は私のかけ声で舞台の雰囲気を壊したのではと・・・心配で周りが気になり芝居に集中出来ませんでした。私の様な素人が出しゃばった事をしてはいけませんなあ・・・・。 しかしあの掛け声、観客と役者が一体となっている・・私も絶妙のタイミングで声を出せる様になりたいのです。 掛け声をかけるには「初音会」と云う会が有るそうです。 私も、もっともっと歌舞伎の勉強をして(月に何度も観に行き)初音会に入れて頂き、自信を持って掛け声をかけられる様になりたいと思うのですが・・・・。 「大向うを唸らせる」との言葉が有ります。大向こうとは3階席奥の一番安価な席の事で、その様な席にたびたび通ってくる芝居好きの客の為の席だったのです。「大向うを唸らせる」といえば、そういった芝居通をも感心させるほどの名演技だと言う事なのです。 しかし、3階の隅っこの席でさえ4〜5千円もするので、悲しい事に私には同じ芝居を月に何度も観に通う程のお金がありません(暇はありますが)。 余談 歌舞伎役者の屋号には成田屋・高麗屋・播磨屋・中村屋・澤瀉屋・萬屋・成駒屋・大和屋・山城屋・松嶋屋等々沢山ありますが発端は江戸時代にあります。当時歌舞伎役者は河原者と呼ばれ士農工商の身分制の枠外に置かれ非人として差別されていました。その為、歌舞伎役者として人気が有りお金があっても表通りに家を構える事は出来なかった為、多くの役者は副業を始め表通りに商売人としてのお店を構える様になりました。(現在でも飲食店等の副業を行っておられる芸能人は大勢おられます)。その副業のお店の屋号が残り、現在歌舞伎役者の屋号として伝えられているのだそうです。 |