ええ加減な男
                                         平成20年6月

私は何をやっても三日坊主で長続きしたためしがありません。実に「ええかげんで

中途半端」な性格です。漫才師「ちゃらんぽらん」の大きく仰け反りながらのギャグ

「ちゅう〜〜と(中途)はんぱ
やなあ〜〜!!のファンでしたが今年2月引退され

実に残念に思っています。

私は「ええかげん」と言う言葉の意味を「丁度良いお湯加減」この様なときに使わ

れる「良い加減」と理解しており 私の性格もきつくも無く弱すぎもせず所謂「中庸

の徳」をわきまえた非常に「良い加減の性格」だと思っておりますが、世間の皆様

にはなかなかご理解いただけず、所謂「投げやり・おざなり・無責任」この様に解釈

され、私の事を「何をやらしても中途半端で無責任な男」この様に誤解されておら

れる方が多い様でございます。しかしどの様な誤解を受けようとも この性格を直

そうなどと、そんなしんどい事に挑戦する気持ちは毛頭ございません。60年余年こ

んな性格でやってきましたので、この先も死ぬまでこの性格で押し通そうと思って

います。

余談ですが、数年前 広島県の 鞆の浦を訪れた時、山中鹿之助の首塚を見つ

けました。鹿之助が、こんな所で首を刎ねられていたとは、驚きました。主家、

尼子家の再興の為「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈り

艱難辛苦に耐え頑張った事がまったく役に立たなかったのです。三日月などに祈

ったからご利益が無かったのでしょうか?それとも満月だったら良かったのでしょうか?

どうすれば信長に使い捨てなどにされず、尼子家再興の目標達成が出来たの

でしょうか?それとも尼子家再興など考えず、我が身一身の保身のみを考えたほうが

良かったのでしょうか?彼は実に意味の無い人生を過ごしたという事です。

結果論ではありますが私の様に「我に七楽八喜を与えたまえ」と、お気楽人生を送った

方が楽しい生涯を送る事が出来たのです。

私のモットー  「美味い物は先に食え、嫌な仕事は明日に回せ」

            (人生お気楽が一番)


5年前失業中に「プータロー」と言うホームページを作ったのですが、例のごとく

三日坊主で飽きてしまい もう何年も更新もせずほったらかしにしていました。

此の度パソコンが壊れ新しく買い替えたのですが、前々から竹さん(神戸で出来

た新しい友達)をはじめ皆様方からHPを更新せよと責められていましたので思い

切って再開する事にし、竹さんにHPヒルダーバージョン10をお借りしました。

長い間HP作りを休んでいましたのでほとんど忘れてしまい、悪戦苦闘を繰り返し

ながら作成しています。

私のHPの目的は、日頃お会いしたいと思いながらも 年賀状の交換位でなかな

かその様な機会が持てなく ご無沙汰申し上げている皆様方にせめて近況のご報

告をさせて頂く事ですので、アクセスカウンターも掲示板も付けません。

(どうせ今回も飽きてしまい途中で投げ出してしまうとおもいますが)

追記

 ええかげんでお気楽な男は昔からおられました。

        この世にし 楽しくあらば 来む世には

         虫にも鳥にも 吾はなりなむ

                      大伴旅人(万葉集)
  
湯村温泉(吉永小百合の夢千代日記の舞台になった町)に行った時

「ちゃらんぽらん」の大西浩仁が画いた絵をみつけました。 私には絵心

がありませんので絵画の評価はできません。

ピカソもマチスも又 大西浩仁やジミー大西の画いた絵画も同じに見えます。

私は、ちゃらんぽらんの大西浩仁さんは画家になるより漫才師の方が良かった

様に思います。