理趣経                    平成25年9月
 今月も私の得意分野、エロ話を続けさせていただきます。

お経の中にはとんでもなくスケベな
(私好みの)お経があります。
信仰心の薄い私は、お経と言っても般若心経位しか知らなかったのですが空海の伝記を読んでいて、真言宗には理趣経と言う素晴らしいお経がある事を知りました。理趣経の極一部ですが、私好みの部分を転記させて頂きました。
   
 1.妙適C淨句是菩薩位 - 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる
   びょうてきせいせいくしほさい   菩薩の境地である境地である

 2.
慾箭C淨句是菩薩位 - 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働く
   よくぜんせいせいくしぼさい    のも、清浄なる菩薩の境地である

     
 3.
觸C淨句是菩薩位 -   男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地
   しょくせいせいくしほさい     である
  

 4.
愛縛C淨句是菩薩位 -    異性を愛し、かたく抱き合うのも、
   あいはくせいせいくしほさい      清なる菩薩の境地である
 
  
 5.
一切自在主C淨句是菩薩位 - 男女が抱き合って満足し、すべてに自由
   いっせいしさいしゅせいせいくしほさい   すべての主、天にも登るような心持ちになる                           のも清浄なる菩薩の境地である
                       

 6.
見C淨句是菩薩位 -    欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の
   けんせいせいくしほさい      境地である
            

 7
.適スC淨句是菩薩位 -  男女交合して、悦なる快感を味わう
  てきえっせいせいくしほさい      ことも、清浄なる菩薩の境地である


まだまだ有り難いお経は続くのですが割愛させて頂きます。
性欲だけでは無く食欲・物欲・出世欲・・・・エトセトラ・・人間の全ての欲望が菩薩の境地とのお話です。

お経と言えば抹香臭い物と思っていましたが、実に楽しいお経ですね。
 1番の、男女交合の妙なる恍惚
(びょうてきせいせいくしほさい)
     性の絶頂感エクスタシーをお経で表現すれば
     こうなるのですね。
 6番も面白いですね。欲心を持ち異性を見るとは・・
 
   (綺麗なお姉ちゃん、オッパイ吸いたいな!!お尻おさわり
    させてえな!!と思う事が、菩薩の境地なのです。  
    奥様!!私が電車や街中で若い女性をじろじろと見ていても
    菩薩の境地に浸っているだけですので、怒ってはいけません)


高野山の開祖「空海」は平安時代遣唐使に加わり、長安、青龍寺の
恵果和尚を訪ね真言密教の教えを受け、「この世の一切を遍く照らす最上の者」
(大日如来)を意味する遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられ、膨大な密教の経典・法具を持ちかえりました。
その中に「理趣経」もありました。
同時期に最澄も遣唐使に加わり天大山で天台教学を学び帰国後比叡
山で天台宗を起こします。しかし密教の知識が不足していた為、空海に弟子入りまでして密教の経典を借り受け勉強しました。理趣経の借入を申し入れた時、空海は密教の真髄は文章修行ではなく実践修行によってのみ得られるとの見解を示して拒絶し以後交流は途絶えました。
空海が実践修行を重要視したのは、先達の厳しい指導の元での修業を通じてのみ、このお経の真髄が理解出来るとの考えです。
  
(最澄の弟子円仁が”838年〜847年”唐に渡り密教の勉強をしています。この9年
   6ヶ月に及ぶ求法の旅の間、書き綴った日記が『入唐求法巡礼行記』で、これは
   日本人による最初の本格的旅行記でありマルコポーロの東方見聞記よりも歴史
   資料価値が高いと評価されているそうです。円仁の伝えた密教は天密と言われま
   す。天密にも理趣教があるのかどうか私は知りません。)
 

既存の宗教は来世の極楽往生を願い又女性は穢れた存在で仏には
なれないと説いていましたが、理趣教は現世こそが極楽で
(性愛を通じて)性行為も含め人間の営みは全て本来は清浄なもので性交を通じ男女が大日如来と一体となるとし既存の宗派とは大きく異なります。
 
   又 
煩悩即菩薩 淫欲即菩薩との教えもあります。
      皆様、私と一緒に煩悩の海を漂い淫欲の波に呑まれ
      この世の極楽を楽しもうではありませんか!!

単にお経を読むだけでは、私の様にセックス礼賛、興味本位の理解しか出来無い人が続出すると思います。
大日如来の印を結んだお姿は左手人差し指をピンと立て右手でそれを覆っておられますが、私はいつ見ても不埒な妄想にかられます。人差し指はオチンチン右手は女性の大切な処に見え、男性が女性の体内に入っている即ち性行為を想像してしまうのです。
こんな不埒な妄想を抱くのは私だけなのでしょうか?
 
(人差し指は我々衆生、右手は仏を表し、私達は仏に包まれているとの意味が
  あるそうです)


空海が心配した様に、後世私の様な中途半端な輩が続出し、鎌倉時代理趣経の性行為を礼賛している部分を強調した「真言立川流」が現れ、後醍醐天皇
(南朝を開く)の後ろ盾を得て急速に広まりました。天皇は髑髏に男の精液と女の愛液を塗りたくり本尊としたとの話も伝わっています。しかし後醍醐天皇の権力失墜に伴い、真言宗本流の高野山は大規模な弾圧を加え、立川流の僧の多くが殺害され、書物も焼かれてしまいました。
その後、細々と続いていましたが江戸時代再度強い弾圧を受け立川流は壊滅してしまいました。
 
江戸幕府に迄弾圧をされた事は立川流が公序良俗に反する宗教と
 見なされたのだと思われます。
 もしかすると若い娘や奥様を集めて乱交パーティーなどを行って いた
 のかも知れません。

立川流の秘儀や作法などが述べられた文献は殆ど焚書で無くなっており、立川流の件で現存する文献はすべて弾圧した側のものであるから、それが真実かどうかはわからないと言われています。

立川流が絶えてしまった事は誠に残念です。もしも現在迄続いていれば私は熱心な信者となり日夜バイアグラ持参で修業に励み菩薩の境地・法悦の喜びに浸っていた事でしょう。
こんなスケベな話、飽きもせず此処まで読んで頂いた貴君も同じ想いだと信じています。
  
  南無大師遍照金剛・南無大師遍照金剛・南無大師遍照金剛・

真言宗では今でも朝夕理趣教を唱えているそうです。日夜厳しい実践修業を重ねておられる僧侶だから理趣教の教えを正しく理解されておられるので、私達凡人が悪戯に理趣教を唱える事は快く思っていないようです。
私の様に中途半端な輩が出て来、エロ話と誤解される事を恐れておられるのだと思います。