耳鳴り                平成26年7月 

五月に「誤嚥」につきお知らせさせて頂きましたので、今日は「耳鳴り」について御報告させて頂きます。
年寄り臭い話ばかりで少々恥ずかしいのですが、読者の皆様がたも私同様、老化進捗度の高い方々が多いと思いますので「同病相哀れむ」と対応策等、お教え願えれば幸いでございます。しかし「他人の不幸は蜜の味」とも言われますので、私の苦しむ姿が貴君の心の安らぎに繋がればそれはそれで結構な事でございます。

何時の頃からか、多分2〜3年前からだったと思いますが、耳鳴りがする様になりました。大して気になる音ではありませんが、ふと気が付くと頭の中でジージーと虫の鳴き声がしているのです。そしてしばらくすると何時の間にやら治まり聞こえなくなってしまいます。最初の頃はタマの事で時間も短時間で正常に戻っていたのですが、時を経るにしたがい発生頻度が高くなり時間も長くなってまいりました。最近では気が付いた時は何時も耳鳴りがしている様に思います。頭の中で常に鈴虫か松虫が鳴いているのですが、これはこれで何時も秋の風情があり結構な事でございます。
   
(蝉の鳴き声と表現される方もおられますが、蝉では喧しすぎます。
    私には虫の声の様に聞こえます。)

昨年春の健康診断で右耳が高音を聞き取りにくいと難聴診断を受けましたが、昨年秋の検診ではその事を踏まえ慎重に聴力診察を受けた所、正常との判定が得られました。今春の健康診断でもやっと正常の判定を頂きましたが少しずつ聴力が落ちているのは間違いありません。。
 
(高速道路の料金所ではETC車と普通車の判別はLEDランプとブザー音
 で行うのですが、ブザー音はピーピーピーとかなり高い音です。もしかする
 と、私の耳鳴り・聴力悪化はこの音による職業病かも分かりません。・・・
 労災認定を受けられるのではないか?、又これで障害者認定も・・・とか
 自分に都合の良い事ばかり夢想しています。)


ネットで調べますと恐ろしい事が書かれていました。
ジージーと蝉の鳴く様な音の耳鳴りは突然耳の聞こえが悪くなる突発性難聴などが起こりやすい耳鳴りだそうです。突発性難聴とは突然片方の耳が聞こえなくなる病気で原因不明だそうで、悪化すると治療が困難なので早く病院に行く事が重要とありました。
そんな記事を読んでも私は病院に行く気は毛頭ありません。私の耳鳴りは蝉の鳴き声では無く虫の鳴き声なのです。それに仮に難聴になったとしても片耳が聞こえなくなるだけなのでしょう!!耳は二つもあるのです。もう一つの耳で聞く事が出来ます。片方の耳が聞こえないと仕事はやりにくいかも知れませんが、どうせ私の仕事はこの秋までしか出来ません。その後は無職になるのですから日常生活で片耳が聞こえない位なんでもありません。
逆に奥様の苦情やお叱りが聞こえず、こんな有り難い事は有りません、常に聞こえない方の耳を奥様に向けていれば良いのですから。
又これを原因に勝手聾
(つんぼ)になる事も出来るでしょう。

30歳頃、飛蚊症
(ひぶんしょう)になりました。当時そんな症状がある事を知らず目の病気になったと思い眼科で看護婦さんに症状の説明をした所「若いのにお気の毒に」と言われました。私は「大変な病気になってしまった、これから幼い子供二人を育てなければならないの・・・・生命保険を増額しようか?」などと考えながら診察を受けた所、飛蚊症で心配いらないとの診断を受け安心した事が有りました。
今思えば看護婦さんは網膜剥離と勘違いされたのでしょう。以来40年近く飛蚊症とお付き合いしていますが、何時の間にか全く気にならなくなりました。
これと同じです。耳鳴りなど気にせず、虫の鳴き声と楽しんで行きたいと思っています。
 追記 
睡眠中にコムラ返りを起こす事が増えてまいりました。足を蒲団の外に出し眠ってしまい冷えた時に起こる事が多い様です。強烈に痛く起きてからも暫らくビッコを曳かねば歩けません。子供の時に水泳中に起こった事が今では睡眠中に起こるのです。
スイエイスイミンとの間には60年の歳月が有りました。

 漱石の猫                 
先日、小学生の孫が漱石の「吾輩は猫である」を読んでいました。
私も子供の頃読んだ記憶は有りましたがすっかり忘れていましたので、孫に借りてパラパラと抜き読みをしていて、最後のページ、猫の臨終の場面を読み思い出しました。
猫はご主人の飲み残したビールを飲み
(舐め)酔っぱらって水甕に落ち溺死したのでした。子供の頃この場面をどの様な思いで読んだのか全く覚えは有りませんが、記憶が無いと言う事は「アラそうなの」との感想位で特に感じる事など無かったのだと思います。
改めて読み直し、猫にも拘らず助かる可能性が無い事を悟り、死を覚悟した時の潔
(いさぎよ)さに、私もこの猫の様に従容として死を受け入れる事が出来るのかと些か考えさせらました。
子供の頃は「死」と言うものが未だ遠い存在で身近に考える事は無かったのでしょうが、この歳になりますと、親戚・友人で鬼籍に入られる方々も多く御葬式の度ごとに「明日は我が身か」と隣の席の友人と顔を見合わせる事が多くなりました。

70歳男の平均余命は14年です、飽く迄平均での事ですが、70年近く生きてきた私には後14年しか残っていないのです。
 
しかし(1+27)÷2=14 私の余命は1年で貴君の余命が27年の場合も有るのです。
  メタボで酒・煙草を飲み不摂生な生活を送っている私の余命は平均以下であるのは
  間違いありません。 もしかすると私に残された時間は僅かかもしれません。

     皆様香典の御用意をお忘れなく!!
私の父は83歳の時胃癌で亡くなりましたが、高齢の為告知はせず又手術も行わず投薬治療を一年余続け、その間元気にゲートボール等を楽しんでいましたが、免疫力が低下していたのでしょう、肺炎を併発した後三日で他界してしまいました。
両親を始め親族には癌死亡者が大勢おられ、遺伝するとは思いませんが、私も癌になりやすい体質を受け継いでいると覚悟しています。
しかし私の両親、又家内の両親共に長く患う事も無く他界し、子供孝行の親と感謝しています。
私達夫婦も両親にあやかり子供に迷惑をかけずポックリと死にたいと、一昨年ポックリ寺で有名な奈良の吉田寺
(きちでんじ)にお参りしてきました。(機会があれば阿日寺や石光寺にもお参りしたいと思っています。)
私この歳になりますと、今更子供や孫の為に何かが出来る訳でも無く、又仕事や趣味の世界でもやり遂げたい事が有るわけではありませんので悪戯に長寿を願うより、何時お迎えが来ても淡々と受け入れたいと思っています。
  
(実際に死に直面した時には狼狽し長生きたいと大騒ぎするのかも知れませんが)
  先日ゴルファーの尾崎(67歳)が何時までも夢を追い続けるのが若さだとの発言をして
  いました。臍曲がりの私は尾崎の馬鹿が!!と・若さでは無く濁点つけてバカサだろう
  50億円も借金をこしらえ破産し多くの方々に迷惑をかけ、貴方はこれからも迷惑をかけ
  た方々にお詫びをしながら残った借金を返済し続けなければいけないのでしょう。
   貴方の人生は夢を追うのでは無く、借金に追われる人生でしょう!!
         (他人の事などほっておけば良いのに、こんな事を考えるなんて
          我ながら臍曲がりで嫌みな爺だと思います。) 


    ついには行く 道とはかねて 聞きしかど 
         昨日今日とは 思はざりしを
在原業平の歌です。業平を含め当時の人々は仏教の世界観を信じ、極楽浄土を信じておられたにも関わらず、現世に未練たっぷりの歌の様に思われます。業平は56歳で亡くなっていますが、稀代のプレイボーイと言われただけに現世の女性にまだまだ心残りが有ったのでしょう。
(それにひかえ私は極楽浄土など信じてはいませんが、心残りの女性もおらず、現世に未練も残らない寂しい人生を送っています。)
  
    この世にし楽しくあらば来む世には
           虫にも鳥にも吾はなりなむ
この歌は奈良時代・万葉集に残された大伴旅人の歌です。当時既に仏教が伝わっていましたが、旅人はあえて仏教の浄土思想を皮肉った歌を詠んだのです。私も旅人の様に残された人生を楽しく生きたいと思いますが、私に出来る事は美味い物を食べ・酒を飲み・煙草を吸い・・・メタボで高脂血症・肝硬変・肺癌になり・・・・・・他に何が有るでしょうか・・?そうそう大切な事を忘れていました。嫌われながらもお姉ちゃんのお尻を触り・・・